呆れる事態が続いている。
昔から?
ただ、現在ほど、世界レベルではなかったのではないか。
家から外へ飛び出したくなり、外からも逃げ出したくなり、ついに人をやめてしまう?
わたしの場合はまだ早いかなと。
【新聞ガミの凋落/今日も少しだけ】
1日に、新聞の凋落ぶりに関して、記した。
すると、ユーモア溢れる反論が。
要は、「新聞の使用価値を舐めてはいけません」というのだった。
引用したい。
日常のゴミ袋(特に生ゴミ)の内側補強用をはじめ、野菜を冷蔵庫で保存するときの包装用、さらに掃除をするときの補助紙として、あるいはまたタンスやロッカー、本棚等の上にゴミ受け用として敷く保護紙等、その利用価値は多大であり、新聞がなくなったら社会に与える影響は計り知れません。
新聞紙を社会からなくしては決してならんのです。
えっ? 内容⁉
そんなもんを利用している人間なんてもうほとんどいないでしょうが〜
(´・∀・`)」
わたしは、次のように記した(一部改変)。
こうである。
あはは。
使用価値のご指摘に、深く首肯いたしました。
犬猫など、ペットを飼っている方にも、必需品ですね。
かつて、重宝したものです。
焚き火にも役立ちますし、宅配便の隙間を埋める際にも有用でしょう。
こうして考えてくると、その物質性に無限の使用価値さえ感得できてしまう。
いっそ、印刷されていない新聞ガミにすれば、絵は書けるし、メモ用紙・ノート化など、使用価値は高まるばかりで、いやあ、侮れません。
ただ問題は、それは果たして新聞なのかどうかということです。
しかし、「いやあ、今日の新聞、なかなかの手触りだったね」、「いやあ、まったくだ」、「紙飛行機にもできるぜ」、「おいおい、いっそ、これに何か印刷してみようか」となるやも知れません。
ちなみに、読売新聞の1か月の購読料は、朝・夕刊税込みで4400円だそうです。
実際に発行部数のすべてが購読されていたかどうかは、ひとまず置いておき、単純に計算しても、最大部数の1030万部から、現在の716万部を引くと、314万部減。
4400円かける314万で、なななんと毎月138億1600万の減収に。
年間いくらになるかと考えると、もはや気が遠くなります。
いやあ、ブル新と呼ばれてもいた帝国も、危機真っ盛りですね。
もはや、吉村さまのダンベルどころか、緑のたぬきさまの流し目を1面に載せないといけないのでしょうか?
ナゾはナゾを呼び、呼ばれたナゾは、逃亡するやも知れませんが。
とにもかくにも、年間の減収額を考えれば、とんでもない事態か。
「お前はすでに、死んでいる」状況か。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「ひでえなあ」】
放送局の五輪映画にまつわるデモの件。
いやはや。
もはや、アウトだろうに。
できれば、自分が前面に出ない文章を書きたいのだったが。
いやあ、どうにもねえ。
佳き日々を。