深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

謹賀新年2022/暮らし・71

できれば屈託なく笑えて、かつ清々しいときをわずかでいい、過ごしたい。
が、どうだろうか。
暑苦しいこだわりや驕りは捨てたい。
温かい思いやりを、きっと交換しながら。
目的にすることではないと想いつつ。

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▲『あけましておめでとうございます』(写真)
富士。
今日もまた。
あきない。

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【新聞ガミの喘ぎ/今日も少しだけ】
 毎年、1月1日の新聞は、分厚い。
 重い。

 友人が、メールを寄越した。
 こうだ。

 全国紙の凋落ぶりは、もう大変な感じ。
 一応、全国紙と言い張っている、産経は120万部。
 毎日は200万部、朝日は475万部。
 一時は、ソ連共産党機関紙プラウダの部数を凌駕し、ギネスブックにも世界一の発行部数を誇ると認められた、読売は、最大で1030万部まで部数を伸ばしたが、最新のABC部数では、716万部だ。
 ただし、これでも他紙が部数を落としているから、たぶん世界一の部数なのだろうけれど、さびしいことには変わらない。
 事程左様に、新聞というメディア、特に全国紙という業態はもうその歴史的役割を終えつつあるのだろう。

 わたしは、「なるほど」と。
 読売と大阪の件など、理解はできる。
 理解はできるが、あってはいけないことだろう。

 と感じていると、やってしまっていた。
 持ち上げてもいないバーベルの記事。

 そもそも、新聞がなくなると、弁当箱を包めないという時代ではない。
 ペットを飼っている人にとって、今でも必要なのかどうかは、知らない。

 いずれにせよ、電車に乗っていても、新聞ガミを読んでいる人はまず、いない。
 ときおり、二日酔いのおっさんが、大きく開いて、スポーツ新聞を読んでいるぐらいか。

 しかもだ。
 今や、当事者が、ウェブ上で発言する時代だ。
 記者職は、どうなっていくのか?
 AIがすでに、億の単位の記事を書いているというではないか。

 はてさて。
 分厚く、重く、環境にはよくない新聞ガミの束を前にして、今年も感ずるところはあるのだろう。
 持続可能な開発目標といった記事を載せることに対する痛みはあるのか、どうか。

 どうか、今年も、ご無事で。


【追記/「あらま」】
 久しぶりに、ギターを手にした。
「あらま」
 指が動かない、リズムが刻めない、コードを忘れている、その他、もろもろ。
 声も出ないのだった。

 少しは歌っておこうかと^^。
 今年早々の叱咤か。

 佳き日々を。