目の前を鳥が横切る。
一瞬のうちに空高く飛び立つ。
一瞬に永遠が宿るなら初めて、「鳥になりたい」と。
何をする?
嘘・隠蔽、書き換えではなく改竄した連中に、ウイルスに満ちた糞を落としたい、なあんてね。
【新聞ガミの凋落は続く/今日も少しだけ】
過日、新聞ガミの凋落について、記した。
それに対する、ユーモア溢れる応答が来ていたことは、昨日記した。
その後も、「濡れた靴を乾かす時には良き相棒」との声がも。
もはや、記事の内容云々ではないのだった^^。
記者職を離れ、すっかり校正者と化した人からは、「スーパーやドラッグチェーン等、折り込み広告の校正を請けていますが」と断わった上で、次のように。
「仕事を請けるたび、どうせ見もしないで捨てられちゃうんでしょ? って、思いながら校正しています」
「ちなみに、ウチのオカンも、新聞・折り込み広告は、生ゴミを捨てる用にしています…」
あはは、内容など、もう雲散霧消。
わたしは、一応、次のように書いてしまったのだった。
靴や生ゴミ対策として、大活躍の新聞・折込広告ですねえ。
もはや、内容ではない^^。
そのほうが、健全なのでしょう。
ウェブをはじめ、内容等々、減収の抜本対策を怠ってきたことも、不買の誘引でしょう。
そも、朝の電車内で新聞ガミを広げること自体、はばかれる、コロナ禍の影響もないとはいえないかなと。
そうそう、多くの人々が反対していたオリンピックに対して、「ああ、スポンサーだもの、な~んも言えないんだろうな」といった幻滅感を、侮り過ぎましたね。
ちなみに、連載小説がまだ、有用だとするのなら、もっと他の書き手がいるし、格差というより階級社会となっている現状の解析など、掲載すべきことは、多くあると想うのですが。
それにしても、すさまじい減収。
貧すれば鈍する、鈍すれば貧する、貧すれば貧する、鈍すれば鈍するの悪循環。
根本的な手術さえ、あるのかどうか。
個人的には、外注の人々の生活苦が気になるばかりです。
以上だが、いずれにせよ、記者の仕事をすればいいだけなのに、それさえ遠くなっているのではないか。
もはや、期待はしていない。
が、今もあるのなら、「突け、どんどんと」と想うばかりなのだった。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「いやはや」】
読売新聞は、大阪とのあれで、NHKもどきになろうとしているのかしらん。
どうなのかなと。
佳き日々を。