深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

あらためて対抗を/マネー2022・1

白土三平氏が記していた。
「経済的な問題は生活の一部」
若くて貧しく、無名で元気なころのことだろうか。
高齢者となった私の財布の事情は深刻?
が、膨らまないのだ、何が何でも対抗していくしかないのかと。

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▲『富士』(写真)
いつ視てもあきない。
形は当然か。
何より刻々と変化していく天候との在り様に。

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【落語から冒険の話まで/今日も少しだけ】
 晩年の古今亭志ん生の芸。
 枯れているとの評価に対して、怒っている人がいた。
 実は、熱演だったというのである。
 何故か。

 病で倒れ、何とか話そうという熱演だったのに、それを枯れているというのは、違うだろうというのだ。
 首肯した。
「なるほど、そうだったのか」と。

 堀江謙一氏。
 日本人として初の、小型ヨットによる太平洋単独無寄港横断をした方だ。
 1962(昭和37)年のことである。
 わたしが9歳のときか。

 冒険家の偉人といった印象がある、
 が、実は当時、ヨットによる出国は認められていないため、捕縛云々の話もあったとか。

 古今亭志ん生師匠や堀江謙一氏同様、今ごろになって、「そうだったのか」という事実は多いのだったが。
 時代背景や、当時の、それこそ空気、あるいは想いなど、当たり前のことだが、重要だなと。

 どうか、今日も、ご無事で。

 2021(令和3)年の東京オリンピックに反対している人たちは、実は多かった――。
 後世の歴史家には、忘れないでいただきたい事実だ。


【追記/「まいったかな」】
 ワクチン接種した翌日の午後。
 前回ほど、発熱はなかったが、平熱より2度は高かった。
 わたしは、平熱が低いので、発熱すると、健常者が、「少し熱があるかな」といった感じの体温か。

 だるく、多少の関節痛、そうして打たれたところが痛くもあった。
 いくらでも眠れるうえに、さらにどんどん眠れるという状態でもあったのである。

「これだけでも、やばいんじゃん」

 聴いてはいたが、やはり同じような症状が出ていた。
 コロナに感染すると、「大変なこっちゃ」と、あらためて。

 分かってはいたが、できるだけの手は打とうと。
 ワクチンのいい悪いは、今は置いておく。
 周囲から、人生の節目に立ち向かえなくなったケースは出したくないというエゴが、あったのである。

 佳き日々を。