白土三平氏が記していた。
「経済的な問題は生活の一部」
若くて貧しく、無名で元気なころのことだろうか。
高齢者となった私の財布の事情は深刻?
が、膨らまないのだ、何が何でも対抗していくしかないのかと。
【落語から冒険の話まで/今日も少しだけ】
晩年の古今亭志ん生の芸。
枯れているとの評価に対して、怒っている人がいた。
実は、熱演だったというのである。
何故か。
病で倒れ、何とか話そうという熱演だったのに、それを枯れているというのは、違うだろうというのだ。
首肯した。
「なるほど、そうだったのか」と。
堀江謙一氏。
日本人として初の、小型ヨットによる太平洋単独無寄港横断をした方だ。
1962(昭和37)年のことである。
わたしが9歳のときか。
冒険家の偉人といった印象がある、
が、実は当時、ヨットによる出国は認められていないため、捕縛云々の話もあったとか。
古今亭志ん生師匠や堀江謙一氏同様、今ごろになって、「そうだったのか」という事実は多いのだったが。
時代背景や、当時の、それこそ空気、あるいは想いなど、当たり前のことだが、重要だなと。
どうか、今日も、ご無事で。
2021(令和3)年の東京オリンピックに反対している人たちは、実は多かった――。
後世の歴史家には、忘れないでいただきたい事実だ。
【追記/「まいったかな」】
ワクチン接種した翌日の午後。
前回ほど、発熱はなかったが、平熱より2度は高かった。
わたしは、平熱が低いので、発熱すると、健常者が、「少し熱があるかな」といった感じの体温か。
だるく、多少の関節痛、そうして打たれたところが痛くもあった。
いくらでも眠れるうえに、さらにどんどん眠れるという状態でもあったのである。
「これだけでも、やばいんじゃん」
聴いてはいたが、やはり同じような症状が出ていた。
コロナに感染すると、「大変なこっちゃ」と、あらためて。
分かってはいたが、できるだけの手は打とうと。
ワクチンのいい悪いは、今は置いておく。
周囲から、人生の節目に立ち向かえなくなったケースは出したくないというエゴが、あったのである。
佳き日々を。