娘がまだ幼児のころ、野営地で沐浴を。
友人たちの手を借りた。
小さなタライが大きな浴槽並?
気持ちよさそうにしていた姿を想い出す。
誰にでもあっただろう幼児期の気持ちよさを、この世の基本にできないか。
【うるないおっさんたち/今日も少しだけ】
次の予定まで、時間に多少の余裕があった。
昨今の喫茶店に入っても、落ち着かない。
「どうすべえかな」
居酒屋もかねた中華屋へ。
外から覗けば、空いていたのである。
座して、注文した品を待つ。
まばらな店内。
すぐに出てきた。
食べ始めたとき、気づく。
騒がしさに。
どうやら、おっさんたちが3人が、講演会の後、呑んでいることが分かった。
マスクスに始まり、現代の何人もの哲学者、あるいは世界情勢にいたるまで、語るかたる、語り合う。
わたしは、「いやはや」と。
うるさいことはいい。
何より、傍観者の知的会話が鼻についたのだった。
すると、微妙に違和感を感じたのか、その1人が言う。
こともあろうにギャグを。
「本当かよ、松尾嘉代」
笑いは起きない。
発語者は、言うのだった。
「あっ、知りません?
この冗談。
みな、笑いますよ」
半分、必死の様相。
あはは。
講演者はインテリだもの、松尾喜代を知らないかも知れない。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「いっそさあ」】
「いっそ、竹中屁するぞおぐらい、言えばいいものを」
彼らの会話から、そう吐き捨てて、店を出たくなっていた。
が、タンメンはまだ、残っていた不運。
佳き日々を。