感謝とは何か。
謝、つまりありがたいと感じているというわけか。
想う、この国の為政者に謝を感得してきたことはなかったと。
尊を、敬を感じたことも。
寂しいものである、人の生命がないがしろにされ続けて。
【いろいろな人がいるものだ/今日も少しだけ】
過日観た映画『もったいないキッチン』。
そこで知ったのが、昆虫食の方である。
「いろいろな方がいるなあ」
昆虫食。
とても美味しいそうである。
ラーメンなど、格別だとか。
食してみたい気も、少しだが、ある。
実は、国連でも昆虫食を推奨しているのだそうだ。
食糧難の暗雲。
自給率の低い日本なら、昆虫食は、真剣に考えたほうがいいのだろう。
蜂の佃煮など、今でも売られている。
今後、昆虫食が一般食となるのか、どうかは分からない。
食べないでも生きている方が本を書いていた記憶がある。
が、餓死との関係が、分からない。
どもあれ、美食は大切だが、今後も続けられるとは限らないのだった。
「どうなるんかなあ」
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「えっ?」】
今日、ふと、想い出していた。
9・11のときのことだ。
欣喜雀躍とした高齢者がいたという。
実は、この日本に。
「ざまあみろ」と跳ねたそうだ。
凄いことである。
そうして、今日、次の言葉も何十年かぶりで想い出していた。
「本来、可変的な敵を、自己陣営に転化し得なかった自己の無能の証明」
確か、『死霊』を書いた作家の言葉だ。
今日のニュース。
単なる驚きはなかった。
戦争をはじめ、いやな感じを証明するかのような事態が、次々に起きてきたからか。
今後は、もっと大きくて見えない力が、蠢いていくのだろう。
今夜は久しぶりに呼吸法を試したのだったが。
「明日もするか」
それでもなお、佳き日々を。