深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

イマジン2022/戦争・16

今も貧しいが、父母の子。
ただ、実際はみんなの子でもある。
両親の子である、みんなの子。
両親という2人にしろ、みんなの両親とも言えるのだったが。
実は、みんなの1人ひとりなのだ、一刻も早い停戦をと。

▲『富士さま①』(写真)
「おっ」
今日の富士さまは、雪が消え始めていた。
が、雨の日々が続けばまた、白くなるのだろう。

▲『富士さま②』(写真)
上掲の富士さまの、3日前の写真だ。
「随分と違っているな」
今はもう、夏へ向かっているのだろう。

▲『山並み』(写真)
ふと、窓の外を視た。
「おっ」
山々がうかがえた午後。

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【一生?/今日も少しだけ】
 人の一生は、いくつかに分けられるのだろう。
 乳幼児期を経て、学校へと。
 もちろん、すべての国で通用する話ではないが。

 その後、働く。
 学生のときからの人も多くなっている。

 いつしか、現場を離れ、遊行の世界へ?
 今や、そうとも言えないご時勢だ。
 老いても、働かないと暮らしていけないのだったが。

 青春・朱夏・白秋・玄冬との分類法もあるようだが、あはは、どうかなと。
 玄冬のような青春もあるからだし、恵まれれば、その逆もあるのだろう。

 つまりは、分類はできるが、分類できないのだった。
 きれいにいくわけもなし。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「絶望だなんて」】
 上に貼り付けた唄。
 次のような歌詞だという。

♪わたしの魂に喜びをもたせてくれるものはない

 今朝のラジオでかかった砂漠系ブルーズか。
 随分前に知って、確かコンサートへも行った記憶が。
 投げ銭のステージもあったのではないか。

 ふと想い出したのが、芥正彦氏の最近の言葉である。
 こうだ。
「今、絶望するのは、せっかちというものではないか」

 貼り付けた唄には、せっかちとは遠いものを感じたのだったが。
 つまりだ。
 喜びとは無縁でも、絶望はしないということなのだった?
 佳き日々を。