深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

偶数月15日/老道・193

馴染みのない街、午後2時。
珍しさも手伝って昔ながらの定食屋に。
爺さんが入ってきて、店主に挨拶を。
「自炊ばかりじゃあね、たまには美味しいものをさ」
「そうか」と気づく、「年金支給日だったのか」と。

▲『眺めていた』(写真)
木々を眺め、心安らいでいる――。
後姿からも感得できた。
眺める人を眺めていたのである。

www.youtube.com【忘八について④=礼=/今日も少しだけ】
 今日は、礼について。
 広辞苑には、こうある。

「うやまうこと。礼儀。」

「なるほど」と。
 他者を、敬うことか。
 つまり、訴えなければいけないほど、欠落していたということかとも。

 ウェブでは、こうもあった。

「さまざまな行事のなかで規定されている動作や言行、服装や道具などの総称。春秋戦国時代儒家によって観念的な意味が付与され、人間関係を円滑にすすめ社会秩序(儒家にとっては身分制階級秩序)を維持するための道徳的な規範をも意味するようになった。」

 人間関係は、大昔から、問題だったことが理解できる。
「いやはや」か。

 それにしても、身分制階級秩序を維持するための道徳的な規範なのだとしたら?
「怪しいよな」とも想う。

 とはいえ、今流にいえば、目の前にいる人その人を、リスペクトすることは重要だろう。
 仮に、犯罪者だとしても?
 それは、分からない。
 元首相をリスペクトなど、できないからである。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「ううむ」】
 本日は、室内で集中する仕事をした後、電話で挨拶をあちこちへ。
「ううむだよなあ」といったことだらけ。
 佳き今日を。