まだ未体験の老いの身体感覚もあるのか。
若いときから、起床して快調と感じる身心ではなかった。
とはいえ、今のそれとは違うのだろう。
昼、歩き出して、空を見上げれば、昼月。
懐かしい唄を口ずさんでいた。
www.youtube.com【忘八について②=仁=/今日も少しだけ】
昨日、忘八について記した。
要は、儒教における8種の徳である、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の8つを失った状態か。
孔子を始祖とする思考・信仰の体系。
紀元前の中国に興り、東アジア各国で2000年以上に亘り強い影響力を持つ。
いずれにせよ、「忘八の意味は分かったが、そもそも、8つの違いは?」と。
違いが分からなければ、糞味噌一緒となってしまう。
そこで、これから1つひとつ、見ていこうと想ったのだった。
あまり食指は進まないものの、忘八にはなりたくないからである。
まず、今日は、仁について。
ウェブには、こうあった。
人を思い遣る事。
白川静『孔子伝』によれば、「狩衣姿も凛々しい若者の頼もしさをいう語」。
「説文解字」は「親」に通じると述べている。
『論語』の中では、さまざまな説明がなされている。
孔子は仁を最高の徳目としていた。
のっけから、最高の徳目が、分からないのは当然で、孔子自身、さまざまな説明をしているのだ。
「ううむ」
こうもあった。
孔子は、『論語』のなかで「仁」について明確な定義をおこなっておらず、相手によって、また質問に応じてさまざまに答えている。
言い換えれば、儒家の立場においては「仁」とは人間にとってもっとも普遍的で包括的、根源的な愛を意味するものとして考えられてきたのであり、「孝」や「悌」、「忠」なども仁のひとつのあらわれだと主張されているのである。
ここにいたって、分からなくて当然かと。
ただ、これでは、忘八のままだ。
分からないのだから、実現しようもないではないか。
そこで、一応、「他人に対する親愛の情、優しさ」を意味していると考えて、先へ進みたい。
とどのつまり、「愛こそはすべて」か。
人を想うことは基本というわけである。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「さてっと」】
ピンクフロイドの内紛。
あるいは、デビッド・クロスビーとグラハム・ナッシュの争い。
富と名声と成功をてにして、「あ~に、してんだべさ」と。
佳き今日を。