グローバル・ハイエナ社会になってしまった?
そうして、みながハイエナに…。
となれば、全員が可哀想になってしまうのだった。
どこから手をつければいいのか。
私生活はなくなり、実は公の暮らしも壊されて。
【一人/今日も少しだけ】
尾崎放哉氏で有名な句がある。
咳をしても一人
「寂寥としているなあ」と。
が、自らの事態を描く手や頭があっただけに、まだ救いはあるのかと。
何故か。
寂寥とつかめる、もう一人の自分がいた寂寥なのだから、つかみようのないそれとは違うのだ。
では、こうなると、どうか。
屁をしても一人
お笑いである。
と同時になさけない。
おまけに、寂寥も重なってくる。
わたしとしては、こちらも押したいのだったが。
以前、『○○をしても一人』ごっこを、一人でしたとき、次のような句に、「へえっ」と。
一人でいても一人
自ら、なんのこっちゃいと思った。
が、何やら意志も感じたのだったが。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「たまりまへんなあ」】
コロナ禍、捏造だの、改ざんだの、食品高騰だの。
いやあ、たまりまへん。
そうしたあたりか。
佳き日々を。