四捨五入で百歳の彼。
「健康法?」と聴き返し、しばし考えた。
「やはり、よき人と出会うことではないでしょうか」
うなった、うなってしまったのである。
自分だけで、どうなるものではないと知ったからだった。
【そうか、亡くなられたのか/今日も少しだけ】
新聞を広げた。
すると、ガキのころのダチのご母堂が載っていた。
一読。
想わず、紙に向かって、合掌を。
引き上げ体験者だと記されてあった。
当時のロシア兵の傍若無人ぶりは、最近、若い人も発表したと聴いている。
五木寛之氏も、記していたか。
記事では、戦後、長く売・買春問題の解決のため、活動して来られていたと簡潔にまとめられてあった。
寄り添う、待つという姿勢。
お話をうかがったことがある。
が、真に真なるところまで届く話をうかがえたのか、どうか。
別れ際、子育てについて、想わず聴いてしまった。
すると、「いい親とは言えなかったかも知れませんね」と、ゆっくりと苦笑を。
もう1度、逢えたのなら、「いや、彼はとてもいい奴でしたよ」と、今1度、伝えたいのだったが。
実際、いい奴だったのだから。
合掌を、あらためて。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「さてっと」】
賃労働に追われまくる日々。
眠い。
それにしても、凄い唄を貼り付けてしまったものだ。
佳き日々を。