深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

技について/身体から・211

病を得たわけではない。
にも関わらず、何だか気分がすぐれない――。
逆に、病気なになってしまったのに、いたって元気。
どうしたわけか、そうしたときがあるものだ。
人にもよるのだが、技にもよるのだろう。

▲『一本道2022』(写真)
歩き出した。
この道もめざして。
「気分はよしか」

www.youtube.com

【愉しみを耕す=小道主義者として/今日も少しだけ】
 自分をあえて規定すれば、どうか。
 やはり、小道主義者となるだろう。
 歩いているだけで、愉しい。
 もちろん、理由は分からない。

 アメリカの詩人には、カウンターカルチャーにしろ、オープンロードという視点・視座・視野があったと想う。
 開かれていく姿勢はいい。

 ただ、その多くには、大道という無意識があったと記憶する。
 いや、すべての詩人を読んだわけではないから、断言はできない。
 あくまでも印象である。

 ホイットマンから、つい最近までのディラン、スナイダー、ギンズバーグにいたるまで、大道という印象があるのだった。
 そこに惹かれはしたが、「では、お前は?」と自らに問えば?
「やっぱ、小道主義者だな」と。

 細く、小さい道としての小道。
 ただ、長くなれば、小道とは言えなくなるので、短い道としての小道。
 短いところが、残念ではあるのだったが。
 いずれにせよ、儚い^^。

 そうした小道へ、大きな通りを避けて、向かう。
 そのとき、身心は浮かれ始めているのだった。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「重いよなあ」】
 極刑のとき。
 体重が重いと、首と胴体が離れてしまうそうだ。
 それでも行われてきた日本。
 体重だけではない、重い話だ。
 佳き今日を。