深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

わたしから別の者へと/令和四季派・31

木々もまた、緑のまま燃えていてもおかしくはない。
そう体感させるほどに、容赦のない陽射しが全身へ。
夏。
わたしやオレというより、ぼくという心持ちに変えさせる領域がある。
森の中へ入っていくのだった。

▲『走る女の子』(写真)
まだ就学前の女の子。
たった一人で、自転車に。
「すげえな」
知らない唄を歌っていた。

www.youtube.com【日暮れて道なお/今日も少しだけ】
 過日、近隣の大学の無料公開講座へ。
 演題は、『最古の仏教を哲学する』。
 講師は、馬場紀寿氏である。

 のっけから、「先達を尊ばないわけではないが」といったような文脈で、「中村某先生など、エビデンスがない」とバッサリ。
「す、すげえなあ」

 聴いている間、面白かったが、今、レジュメも見ても、あまり思い出せないのだった^^。
「やばいよな」

 そこで、『UP2022年7月号』(東京大学出版会)に掲載され、当日コピーが配布された馬場氏の『ソシュールと仏教──構造主義の起源?』から、引用しておきたい。
 おおよその見当はつくか。

「(ソシュール)20世紀の思想に多大な影響を与えたこの言語学者が、古代インドの仏教から影響を受けていた──そう聞いたら、いかがわしい話だと思うだろうか。」
「古代インドの言語論⇒ソシュール構造主義
「“他者の排除”論がソシュールの議論と似通っていることは、両者を知る者なら誰しも認めるだろう。哲学者、廣松渉は早くも一九七〇年代に、その類似性を指摘している。」

 うむ、廣松氏か。
 ともあれ、馬場氏は今後10年、最古の仏教に関して、エビデンスをともない研究していくという。
 著作を意識しておくかと。

 どうか、今日もご無事で。


【追記/「さてっと」】
 眠い。
 眠ろう。
 佳き日々を。