食事もまた、運動だ。
事実、体調が優れないとき、食後、疲れているときは多い。
内臓の疲弊もあるのだろうが。
ただ、口に入れる、噛む、飲み込むなど、動いてはいる。
食卓を囲む愉しさという運動なのだった。
www.youtube.com【世にも恐ろしい実験/今日も少しだけ】
世の中には、とんでもない輩がいるものだ。
常識では考えられない?
いや、そうした常識的な物言いで、片付けていいものか、どうかと。
環境や関係、地位等々で、人は変わるものだからだ。
細かいところは省く。
人から聴いた話だからである。
何でも、800年ぐらい前のことという。
ローマのフリードリヒ2世は、ある実験のために、生まれたばかりの赤ちゃんを集めさせ、隔離したのだとか。
このおっさん、「言葉をまったく教わらなかった赤ちゃんは、どのような言葉を話すことになるのか?」と思ったそうだ。
乳母たちには、「赤ちゃんの目を見たり、赤ちゃんに話しかけたり、笑いかけたりしてはいけない」等々の指示があったのだそうだ。
「単に、ミルクを与え、風呂に入れ、排泄処理をするだけにしろ」と。
いわゆる、コミュニケーションの原点を奪うという実験である。
結果は、どうなったか。
3歳までに多くが死亡、最後の1人は6歳で亡くなったというのだった。
あまりにも酷い実験である。
731部隊をふと、想起した。
今は、先を急ぐ。
ここから導き出されることとは、何か。
コミュニケーションや言葉などを奪うと、子どもは死ぬということだ。
要は、人は、出発点で、食事や睡眠、排泄などがいくら保障されていても、関係の基本がなければ生きてはいけないというわけである。
無論、赤ちゃんのみならず、青年・成人・高齢者にとっても、大切なことだろう。
そうして、自分という他者にとっても。
わたしは、「このブログを書き続けてきて、生き延びてこられたのかな」と、ふと。
それにしても、亡くなった子どもたちに、合掌を。
と同時に、権力者の横暴・無謀、要は滅茶苦茶ぶりは、今も同様と記したい。
まさか、コンビニ等々で高齢者を働かせて、どこまで生きられるか、試しているのか?
どうか、今日もご無事で。
【追記/「やべっ」】
夕刻、目覚めた。
「やべっ」
早朝から動き出し、疲れが出て、昼寝をしたのだった。
火曜日まで、しなければいけないことがある。
「ひえええっ」
佳き日々を。