深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

眠りの前に/死を想う・62

人は必ず死ぬ。
ただ、いつも死ぬのは、自分以外の他人だった。
だから、死んでもいないのに、死の何が分かるのかと。
そもそも、わたしはわたしの死に方を知らない。
つらつら想っていたときに、眠りへと――。

▲『惹かれる曲がり角』(写真)
何故か、惹かれる曲がり角。
残念なのは、長居する場所ではないことか。
とはいえ、しばし、佇む。

www.youtube.com【嘘こけ/今日も少しだけ】
 人生100年時代?
「冗談だろう」と。

 確かに、100歳以上の方は増えたようだ。
 周囲にも、100歳近くの方がいる。
 が、「何だかな」と。

 要は、女性を安い労働力として使い、今後はより安く使える高齢者をターゲットにしたのではないのかと。
 事実、コンビニ等々で、賃労働に向かう高齢者たち。
 年金だけでは暮らしていけないのである。
 わたしの現実でもある。

 そもそも、豊かさの基準を、可処分所得、つまり、「収入のうち、税金や社会保険料などを除いた所得で、自分で自由に使える手取り収入」に置くのなら、年金では足りない。
 そうした家計の構造になっているのである。
 通信費等々、昔はなかったものが増加、しかも減っていくばかりの年金といった現実。

 どうか、今日もご無事で。


【追記/「逆だよなあ」】
 賃労働の現場とは無縁で、のんびり、心身が暮らせることを、切に願う。
 それでも働きたいのなら、働く。
 この国では、順番が逆なのである。
 佳き日々を。