小さな女の子が前を歩く。
長い髪をきれいに編み、マフラーの外に出している。
慌しい朝を過ごし、母親は送り出す際、言ったはずだ。
「気をつけてね」
大人たちに交じり、彼女は真っ直ぐ前を向いて歩いていく。
【飢餓考/今日も少しだけ】
食糧・食料が、コロナ禍で値上がり?
自給率が低いものなあ。
ふと、想い出した。
飢えれば、人は、自分さえ食べるという事例だ。
何で読んだか、事実だったのか、あるいは文脈がどうだったのか、朧であるのだが。
大昔、ガキのころのことだ。
戦争体験者の大人たちが、娯楽のように、あるいは芸のように、反芻をして見せてくれた。
意味が分かったのは、後年のことである。
わたしもまた、飢餓によって人が人を食べることを非難できないほど、動・植物を食べてきた。
もし、飢餓が蔓延し、わたしが死んだら、食べていただいて構わないとも感じている。
とはいえ、あはは、ジジイだし、美味くはないだろう。
そのうえ、人の栄養価は低いそうだ。
政治の失敗による飢えでないのなら、人は飢えの前で平等なのだとさえ、感じ入っているのだった。
どうだろうか。
真冬の水責めなど、勘弁してほしい。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「さてっと」】
相変わらず、体力がないことを痛感している。
少しでも快適にしようとしている。
佳き日々を。