あれもこれも、「何だかなあ」のご時勢である。
有史以来、変わらない?
ましてや、戦時中に比べれば、まだましとの声も。
実際、どうなのかは分からないが。
「笑顔になるっていいよなあ」と脳髄が呟いていた。
【頭はグチャグチャ、しかも飢えが/今日も少しだけ】
ダチからメールが。
こうだ。
おやじの戦争の話でいまだに覚えているのは、所属する連隊長の息子が撃たれて、戦死したという件だ。
その息子の顔面が大変なことになっていたらしい。
銃というものは、ライフルで螺旋状に弾が飛ぶため、入口は小さいのだが、出口の方は爆発的に破壊されるそうだ。
いずれにせよ、遺体に対面した件の連隊長は、一目も憚らず、泣き崩れていたという。
わたしは、想っていた。
「それにしても、戦争のことをしっかりと話した父親というのは、たいしたものだ」
内田樹氏は、それをしなかったから、今があると指摘を。
嫌な話は聞かせたくない親心が、今を作ったというわけだ。
わたしの場合は、牛が得意な反芻を、娯楽のように、芸のように、見せられた。
「戦争で、こういうことができるようになる」と。
当事は、大笑いしたものだった。
が、今や、「げっ」と^^。
どうか、今日も、ご無事で。
ちなみに、ガキのころ、当時のダチで、反芻をしてみせる奴がいた。
まだ、空腹な時代だったのだ。
谷山君は元気だろうか。
【追記/「税金かあ」】
思い出していた。
東京で農家をやるには、他でも稼がないといけないといった話を。
土地の一部を駐車場などにしないと、やっていけないそうだ。
要は、税金等々である。
佳き日々を。