深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

愛こそすべって/戦争・7

愛とは何か?
実のところ、よく分からない。
が、「すべて」と言われれば、「そうだよなあ」と痛感する、ここのところである。
「こんな映画もあったんだよな」
大昔に戻ったように、「ラブ」と呟いたりもして。
※ラストシーンを貼り付けた。

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▲『解体』(写真)
昔ながらの商店街へ。
が、すでにマンションが立ち並び…。
災害には強くはなった?
実際のところ、どうなのかは分からない。
今も、家が壊されているのだったが。

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▲『惣菜屋』(写真)
こうした店がかつては多かったのだ。
普通だったのである。
懐かしい?
が、それだけでは立ち行かない。

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トランスジェンダーかあ/今日も少しだけ】
 映画『I Am Here/私たちはともに生きている』上映と、トランスジェンダー当事者の浅沼智也監督のお話を聴くイベントへ。
 強風の中、隣町までチャリを飛ばした。

 同僚から借りた、裸のラリーズを聴きながら。
「うむ、水谷氏が亡くなったのか…」

 ともあれ、世界では、今も1日1人の割合で、トランスジェンダー当事者に対する殺人があるという。
 日本では、どうか。

 要件を知り、今さらながらに、「身心に対する殺戮じゃあないか」と。
 例えば、性別変更にあたって、日本では外科手術で生殖腺(内性器)や外性器を切除・形成することが必須という。
 イギリスやデンマーク等では、役所の窓口での申請のみという。
 日本は物心ついた人への虐待をしているのだろう。

 ちなみに、今は性同一障害とは言わず、性別不合と言うのだとか。
「そうだよな、そのほうがまだ、いいよな」と暫定的に。
 病気ではないということだ。

 男が女になろうが、その逆だろうが、それこそ個人に任せればいいのではないか。
 性自体に違和感を持つ人がいても、「そうだよね」と、何故ならないのか。

 質疑応答の中で、女性が言った。
「何故、わたしは女で生きてきたのか、考えさせられた」と。
 わたしもまた、「何故、おれは男で生きてきたのか」と想ったのだったが。

 映画の中では、やはりと言うべきか、「強く生きていこう」とあった。
 差別、いや、区別もされているのだから、当然か。

 わたしは、どうか。
 いやあ、加齢とともに、自分が男か女か、意味不明になってきているところもある。
「弱いままで生き延びる方途はないものか」と帰路にも、ラリーズを。

 ギュムムムム、グワアアアアアンとギターが鳴り響くのであった。
 強風のつんざく音とともに。

 どうか、今日も、ご無事で。

www.nicovideo.jp【追記/「1秒でも早く停戦を」】
 日曜日は、ウェブで映像を視たり、SNSに流れてくるコメントを読んだり、あるいはHPの文章を走り読みしたりも。
 戦争のことである。

 その中で、気になったコメントが2つあった。
 まず、こうである。

 ゼレンスキーが、ウクライナも署名したミンスク合意を履行していれば、今回の戦争には至らなかった。
 メルケルが汗をかき、骨を折り、徹夜の協議を重ねて成立させたミンスク和平。
 その合意事項を守っていれば、ウクライナ共和国を戦争の危機に導くことはなかった。
〈中略〉
 大統領選の結果とゼレンスキーの政見を見て、プーチンは、ミンスク合意の履行、すなわち東部2州の自治権の法制化に期待を持ったはずで、それゆえ、その後のゼレンスキーの豹変には裏切りを感じたに違いない。
<中略>
 隣国の大国の指導者であるプーチンと、最低限の信頼関係を保つ努力はできなかったのか。

 今後、より鮮明に視えてくるものもあるのだろう。
 今は、先を急ぐ。
 続いて、こうだ。

 フジの日曜報道でロシアのウクライナ侵攻に便乗して安倍氏が、「米国の若者だけに血を流させるわけにはいかない」と言い橋下徹氏が、それに呼応して核保有の議論をしろとか戦争を煽りまくっていますね。
 今後はこうした輩が報道番組で跋扈し憲法破壊に向けた発言が日常化するでしょう。日本も正念場です。

 事実だとしたら、由々しきことだろう。
 何を阿呆なことをと。

 それでもなお、佳き日々を。