深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

武器と花/野の花チャイルド・42

人は消えて行く。
幸運であれ、不運であれ。
が、武器は残る。
武器は、武器のように重くて固く、冷酷な現実として消えない。
花も消えるが、手にした人同様、軽やかにやわらかく、明るい事実として残って行く。

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▲『鉛筆の凄さ』(写真)
近隣の美術館へ。
高齢者なので、無料である。
「あはは」
申しわけないなと。
土田圭介氏の鉛筆画が飾られてあった。
鉛筆の凄さを体感していた。
雪の日だったか。

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【夕暮れに想う大人とは/今日も少しだけ】
 茨木のり子氏は、次の詩の言葉に抗ったようだ。
「大人とは 子供の夕暮ではないのか」

 要は、夕暮れではないというわけだ。
 さすがに、朝とは想わなかっただろうが。

 ともあれ、わたしも、「違うよな」と。
 キレイ過ぎると感じてしまうのだった。

 では、何か。
 ひと言ではもちろん、表せないのだろう。
 当たり前だ。

 しかし、ひと言で伝えたい気持ちにもなる。
 では、どう言うのかだが。
 こうだ。

 大人とは、子どもの焼け野原――。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「あはは」】
 サイバー攻撃
 コロナ禍に五輪、戦争ときて、これだ。
 原発を攻撃されたら、アウトだろう。
 電車にも乗りたくない。

 そうしたときに、松岡正剛氏が、現代詩の長女と言われる茨木のり子氏について、記している文章を読んだ。
 守備範囲の広さは、「相変わらずだなあ」と。
 こうだ。

 ぼくも73歳のときに、これまでの成果のいっさいが自分にどのくらい深く突き刺さっていたのかを訝った。そして、何をどうしたらいいのかはわからないのだが、何かを強烈に白状したくなったものだった。でも、そういうときでも茨木は潔い。ずばり「倚(よ)りかからない」と書いた。

 ううん、なるほどと。
 が、「倚(よ)りかからない」って、「ケチだなあ」とは想うのだった。
 白状もすればいい。
 松岡氏にはもう、引用はやめにしていただき、自分のことだけを、徹底的に語ってほしいのだったが。
 もちろん、ベンヤミンが引用だけで、文章を作ろうとした試みは、素晴らしいと思ってているのだったが。
 今日から3月、佳き日々を。