自分探しは必要ない?
何はともあれ、自分は育てるものなのだから。
では、その自分とは一体全体、何なのだろう?
分からない自分が、自分を問えるわけもないのだが。
とはいえ、当面、「身心のことだよな」と。
▲『ヴィジョン?』(写真)
空き地にテーブルと椅子、そうしてスコップなど。
偶然、出逢った。
「いい景色だなあ」
このまま家が建たないといいのだが。
そんなわけにもいかないか。
www.youtube.com【呆れることばかりの状況下にまた呆れる/今日も少しだけ】
賃労働の現場で、消えた人がいる。
「えっ?」
聴けば、ご法度をしていた。
「何だよ、それ」
消えざるを得なかったのは、賃労働の関係者に、「オフレコですが」と断ったうえで、禁句を言ってしまったことらしい。
職業人で、オフレコを秘密のままにできる人は、少ないのではないのか。
過去には、お客から、クレームが来ていたこともあったという。
「何じゃい、それ」
長年放置していて、微妙なバランスのうちに成立していた問題。
泥が一挙に噴き出したのだろう。
それにしても、脇が甘いというか、脇がないというか。
もう何年も働いてきて、去っていき、「生活、どうするのかな?」と。
そう、微かに感じてもいたが、味方をするつもりは毛頭、ない。
もう1回、くだらない言いがかりをつけてきたら、徹底的に闘うつもりだったからである。
その手間が省けた形か。
いいことだろう。
「それにしても、いるのだな」と。
いわゆるマウントを取りたがる輩が。
単なるにぎやかさと、希望としての明るさを誤解していたが、「今となってはいい勉強となったかな」と。
いや、もう勉強など、している時間はないのだったが。
それでも、勉強か。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「さてっと」】
後日談。
結果、賃労働の現場は一層、厳しくなったのだった。
「あはは」ではある。
佳き日々を。