機器を使い、唄を流し出す。
すると、その場そのとき、要は雰囲気が変わっていくのだった。
狭い住まいも気にならなくなる。
うっとうしい雨の日でさえ、爽やかに?
身心が受け付けているだけ大丈夫なのだろう。
▲『先ほどの件』(写真)
先ほど撮った富士マウンテン^^。
雪が少ない。
夏である。
「お達者で」
www.youtube.com▲ガツンとやられた唄。
今でも、想い出したとき、聴く。
【差別・区別の国で/今日も少しだけ】
どの映画で出逢ったのか、忘れた。
が、覚えている言葉がある。
こうだ。
「在日ぽくない在日という在日」
複雑?
いや、単純な文脈だ。
超えていくほうがいいだろうという意味で。
今も差別、いや、区別が続く。
する側のほうが問題なのだ。
黒人問題ではなく、白人問題と同様。
それにしても、何と狭量なことが続くのだろう。
同じ血が流れているというのに?
いや、違う血でもいいではないか。
ともに生き延びていくのである。
もっとも、とんでもない嘘つきはいる。
詐欺やいじめ、犯罪を平気で行う輩も。
その場にいて、存在を消す若者が出てきても、当然だろう。
望ましいことではなくても。
さて、わたしたちは、いや、わたしは、区別や差別から遠い場所へ、生きている間に、行けるのだろうか?
切実な想いで、「行きたい」と。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「さてっと」】
ここのところ、気づけば寝こけている。
「やべえよな」
佳き日々を。