「インチキぐらいしたよ」と彼。
「たださ」と。
見破られないよう、言葉遣いや立ち居振る舞いには留意してきたという。
そうして苦笑、こう放った。
「ガキに恥じないような嘘か、どうかが、基準だったかな」
※その後、彼は、こう呟いた。
「いやあ、ガキが恥ずかしくなるインチキだけは、したくなかったんだよ」
【気づいてもらう困難さ/今日も少しだけ】
プロ野球の野村克也監督は言ったそうだ。
「監督は、気づかせ屋」
なるほど。
采配と言わないところが、野村監督らしい。
気づけば、成長していく。
「なるほどね」と。
以前、実際にお逢いしたことがある。
存在の迫力があったか。
話し始めると、また違ったが。
その道で食べてきたのなら、与えることはできる。
が、気づかせることは難しいものだ。
相手のレベルによっては、ますますの困難が想定できる。
要は、単に与えるのではないということか。
相手の主体性を引き出すということなのだろう。
つまりだ。
相互交通というわけである。
相手に向かって、開かれていく。
結果、相手もまた、開かれていくのだ。
闘いにおける平和というか、尊重し合った関係。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「テキトーな野郎はいるものだ」】
この時節だ。
野村監督の言葉には、感ずるところ大なのだったが。
それにしても、テキトーな輩はいるものである。
丸投げ野郎どもだ。
「なあにが、連休だ」
佳き日々を。