深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

苦笑は続く/健康法大全・26

不安なとき、考えるものだ。
が、妄想に走ってしまうことは、避けたい。
身びいきとなり、難しいのだったが。
せめて、眠っている間ぐらい安らかにいきたいが、これもまた困難か。
大あくびぐらいして、苦笑を。

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▲『お呼びでないコーナー』(写真)
立ち寄った図書館で。
「お呼びでない?」
「こりゃまた、失礼いたしやした」と。
ちなみに、新聞で、石牟礼道子氏の評伝連載中の方の書籍も。

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【安全な場所/今日も少しだけ】
 サンクチュアリ、安全な場所。
 それがあれば、いいのだったが。

 逃げ場所など、もうない?
 ドンパチが始まれば。
 しかし、ウェブ情報を走り読みしても、始まりそうにないのであるが。
 むしろ、コロナ禍の今、ますます逃げ場所はないと痛感するばかりか。

 レスポンシビリティ、責務、要は対応する能力か。
 それがあれば、いいのだったが。

 ドンパチが始まれば、どうなのか。
 そのとき、対応能力が試されるのだろう。
 が、絶望的だと感じている。
 大阪の状況を視ていてもだ。
 コロナ禍、痛感するばかりである。

 怒りに、失望。
 しかも、不満は続く。
「ったく、やり切れないよなあ」

 そうした折、図書館で借りて、『ライファーズ終身刑を超えて』(坂上香監督)を視た。
 刑務所の人々を追ったドキュメンタリー映画である。
 その中で、手を読むエクササイズというシーンに感銘を。
 囚人が、囚人の手に触れて、話し合うのだった。

 サンクチュアリ・レスポンシビリティの契機――。
 そうしたことを想ったのだった。
 安心な場所を求めること自体、不安を呼び覚ましてしまうかのような事態を感じながら。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「いやはや」】
「壊れても、壊れても、壊れていくなあ」と。
 コロナ禍はもはや、失策の結果か。
 それでもなお、「佳き日々を」と。