不安なとき、考えるものだ。
が、妄想に走ってしまうことは、避けたい。
身びいきとなり、難しいのだったが。
せめて、眠っている間ぐらい安らかにいきたいが、これもまた困難か。
大あくびぐらいして、苦笑を。
【安全な場所/今日も少しだけ】
サンクチュアリ、安全な場所。
それがあれば、いいのだったが。
逃げ場所など、もうない?
ドンパチが始まれば。
しかし、ウェブ情報を走り読みしても、始まりそうにないのであるが。
むしろ、コロナ禍の今、ますます逃げ場所はないと痛感するばかりか。
レスポンシビリティ、責務、要は対応する能力か。
それがあれば、いいのだったが。
ドンパチが始まれば、どうなのか。
そのとき、対応能力が試されるのだろう。
が、絶望的だと感じている。
大阪の状況を視ていてもだ。
コロナ禍、痛感するばかりである。
怒りに、失望。
しかも、不満は続く。
「ったく、やり切れないよなあ」
そうした折、図書館で借りて、『ライファーズ/終身刑を超えて』(坂上香監督)を視た。
刑務所の人々を追ったドキュメンタリー映画である。
その中で、手を読むエクササイズというシーンに感銘を。
囚人が、囚人の手に触れて、話し合うのだった。
サンクチュアリ・レスポンシビリティの契機――。
そうしたことを想ったのだった。
安心な場所を求めること自体、不安を呼び覚ましてしまうかのような事態を感じながら。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「いやはや」】
「壊れても、壊れても、壊れていくなあ」と。
コロナ禍はもはや、失策の結果か。
それでもなお、「佳き日々を」と。