深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

罠だらけ/言葉・222

分断――。
ウェブ上の言葉を読むと、「確かに」と。
事実誤認に基づいた妄想としての言説が、左右で飛び交っている。
自ら分断して、されて。
上下でしかないのに、罠にはまっているとしか思えないのだったが。

▲『木陰へ』(写真)
寒くなってきた折の、暖かい日。
木陰が心地よいときもあった。
お茶を入れて、飲んだ。

 

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【まるでスパイのように/今日も少しだけ】
 長く記憶に残っている文脈がある。
 スパイのように話す――。
 これだ。

 忍者ものや、その後のスパイものを扱ったマンガやテレビ、映画など、メディアの影響があるのだろう。
 それは、まあ、今は置いておく。

 要は、すれ違うとき、スパイのように、たったひと言で、肝心の情報を伝え合うという方法というか、生き方というか、あ、仕事ぶりか、それが今、いや、今も、とても大切なのだと想うのだった。

 知りたい情報はあふれかえっている。
 何を、どう選び、血肉化していくのかと。
 偽の情報があふれ返っている折だけに。

 谷川俊太郎氏の、最近の詩集『虚空へ』(新潮社)は、俳句や短歌ではなく、短い言葉で伝える方法に、「なるほどな」と。
 内容は、ほぼ覚えていない^^。
 ただ、言葉のインフレ状況の中、「こうした方法があるよな」と。
 以前から痛感していたことを、具現化していただけに、「いいよな」と体感したのだった。

 実際、短い言葉で、伝えられることは、多い。
 職業作家の文章は、依頼された文字量を記すのだから、参考にはなっても、指針にはあまりならない。

 そうしたこともあってなのだろう、スパイのように話すことが今、大切かなと。
 実際、読みたいもの、読むべきもの、読まざるを得ないものは、増えていくばかりなのだからと、繰り返し記してしまったか^^。

 ツイッターは、時代の要請でもあったのだろう。
 短い言葉で、肝心なことを伝え合う。
 ただし、何を、どう伝え合うのだろうかと。

 本ブログの上掲の短文は、改行も1文字とカウントして、100文字で進めてきた。
 が、100文字でも多い時代になってしまったことも体感している。

 どうか、今日も、ご無事で。

 

【追記/「いいなあ…」】
 チャリ徘徊をしてきた。
 ジャンパーは途中で、脱いだ。

 ところで、レナード・コーエンのトリビュート・アルバムが出ているようだ。
 参加した音楽家を見て、「えっ?」と。
 何せ、イギー・ポップとジェームス・テイラーが1枚の音盤におさまっているのだから^^。
「こりゃあ、すげえなあ」
 上に貼り付けたのは、コロナ禍になってから、よく聴いていたビル・フリゼールのバージョン。
 佳き今日を。

 今、エコテロリズムの紹介をニュースで。
 今回はゴッホの『ひまわり』にトマトスープがかけられたそうだ。
 幸い、修復はでき、被害はなかったようである。
「大切な絵画同様、地球を守って」というわけだそうだ。
 地球で人が生きられなくなってしまえば、絵画もへったくれもない?
 が、どうせ、かけるのなら、ファシストたちの墓ではどうなのかと。
 わたしには、外国まで行かなくても、汚したい墓があるが、しないはずだ。
 何故か。
 すでに、脳内でしてしまったからではない。
 その程度のことで、身内に迷惑をかけるわけにはいかないからだ。

 再び、佳き今日を。