探している、長きに渡ってと言えるだろう。
真をである。
ただしだ、開かれたそれである。
閉じていたのでは、真とは言えない局面を何度視て来たことか。
心が立ち尽くしたままか、座り込んでしまうかの日々に。
【愉しみを耕す=緑を愛でる=/今日も少しだけ】
もしも、木々の緑がなくなってしまったら?
暮らしは、暗澹たるものか。
賃労働の現場に、緑はない。
が、何とかなる。
というのも、賃労働に集中し、それどころではないからだ。
が、ひと休みするときに、なければ?
寂しい。
休日なら、なおさらか。
できるだけ、木々の緑のそばにいたい。
慈悲あふれる武術家のように安心でき、にこやかな医療従事者のように頼りにでき、文句1つ言わない質屋のようにホッとできる存在か。
少しだけ遠回りをして、最寄り駅へ向かう日があった。
木々のもと、空を見上げては歩いたのである。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「ゲッ」】
今日は、コロナワクチンを打つ日だった。
「どうせ賃労働を休むなら…」
眼科健診も、ついでにと。
結果は、どうだったか。
「白内障がありますが、軽いので大丈夫」
そう、担当医。
「ゲッ」
明るく大丈夫と言われた分、むしろ不安に。
白内障の人は手術後、決まって、「もっと早く受ければよかった」と言うものだ。
目の手術が恐怖の対象だった――。
そのことが、分かる話でもある。
帰宅して、昨年の健診結果を視る。
「あらま」
去年も、要観察に○が付けられていたのだった。
「忘れていただけか」
佳き今日を。