今や危険自体が危ない情況である。
何故か。
危険が危険と認識されず、空虚になっているのだ。
奇妙な武装論など、それこそ平和ボケならぬ、戦争ボケだろう。
怖いこわい、誠に怖い日々がまたしても開始された。
【お元気で/今日も少しだけ】
2年前の今日、記していた。
こうだ。
ウィズコロナやアフターコロナという物言いにも、辟易としたし、しているのだった。
ともに在りたいとはまったく想わないし、現在進行形の事態は終息どころか、収束さえ覚束ないのだから。
もちろん、コロナがウヨウヨする中、コロナ後のヴィジョンを描くことは大切だ。
ただし、ビジネスの臭いしかして来ないのは、何故なのだろう?
「感じ方は変わっていないな」と。
そうして、こうも記していた。
何より大切なのは、やはり快食・快便、そうして、快眠ではないのかと。
動くことも忘れたくはない。
椅子に座ったままの脚上げなど、動くことは家の中でも存外、できるのだった。
どうか、日々、ご無事でーー。
相変わらず、そう打ち込んで、「明日からも生き延びていきましょう」と。
【追記/「いかす」】
貼り付けた唄。
「いいぞ、ゴジラ」と。
宗主国に殴りこみか。
英霊が喜ぶのかどうかは、分からないが。
それにしても、オヤジと仲がかんばしくなかったと噂されたボウイの唄を、息子が歌うなんて、いいじゃあないか。
昨夜のNHKの番組『ロックが壊した冷戦の壁』で、久しぶりに聴いた唄なのだった。
「いい番組だったな」
佳きお年を。