手を結んだのは、信用したからではない。
とどのつまり、裏切られないようにするためだ。
背後から、ふいに撃たれないために必要だったのである。
疑えば、疑われる。
結果、信じることも消えるのは避けたいが。
www.youtube.com【凧の正月/今日も少しだけ】
年々、正月が持つ特別な感じは、少なくなってきた。
年齢を重ね、新鮮でなくなったこともあるのだろう。
例えば、テレビのことを想う。
ほぼ視ないのだが、特別番組のような番組が毎日放映されていれば、正月の特別番組自体、新鮮ではなくなるだろう。
ともあれ、正月の伝承遊びとも言える、独楽回しや羽根突きは、すっかり見掛けなくなった。
わたし自身、かつて大いに愉しんだカルタ遊びをしなくなっている。
そうした折のことだ。
昨今ではカイトと呼ばれる凧が、天高く泳いでいた。
「ああ、正月だなあ」
そう、実感できたのである。
ちなみに、寺山修司氏は、こう言った。
「人は仰いで鳥を見るとき
その背景の空を見落とさないであろうか」
わたしは、想っていた。
「大丈夫」と。
「空を見落としていては、凧は愉しめないものな」というわけだ。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「仕方ないんだよなあ」】
善悪ではない。
冬バテや夏バテ。
仕方ないことなのである。
佳き今日を。