深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

手/身体から・223

追い込まれたとき。
食べられるうちは、まだ平気なのだろう。
お金の問題もあるが、食欲の問題でもある。
身心が縮んで、食べることさえ覚束ないときがあるのだった。
余裕の手が、伸びていかなければならない。

▲『手』(写真)
久しぶりに視た。
手の大切さ。
あらためて、感じ入っていた。

www.youtube.comwww.youtube.com【わたしも隣人として/今日も少しだけ】
 想うようにいかないのが、暮らしか。
 そもそも、人生自体、巧くはいかないものだ。

 例えば、夢見られたヒューマニズム
 にも関わらず、抑圧の根源になるときも、多々あるのだったが。
 事例は、あまりにも多い。

「結局」と想う。
 結局、心と脳と体で醸し出される身体性が、ポイントなのではと。
 隣人から、温かい雰囲気が流れてくれば、それだけで日々は快適になるものだ。

 心がけたい。
 が、巧くいっているかどうかは、わたしには分からない。

 どうか、今日もご無事で。

 ちなみに、アイドル問題も外圧で、動き出した。
 最近、張り付けた唄を聴き直して、若いころ、洋楽に惹きつけられて、「当然だったよな」と。
 日本のアイドルたちの唄と、聴き比べるまでもない。
“声”がストレートに届いていたのである。
「後5年しかないんだ」といった感覚。
 誠実であり、切実だ。
 今なら、1年?


【追記/「さてっと」】
 だるい朝。
 それでも、野菜ジュースにベーコンエッグ、ガーリックパンを。
「さてっと」
 明日からは、違う顔を視るために、違った場所へ、1か月近く通う。
 佳き日々を。