深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

現状/この領土で・854

建前さえ無茶苦茶だ。
ましてや本音はもう、何が何やら。
今や、いや、今も、どこもかしこも汚染水だらけなのだったが。
水浸し。
泳ぐわけにもいかず、ましてや溺れるわけにもいかず、突っ立ている脚力もなく。

▲『隣町の図書館の自転車置き場』(写真)
平日。
休日に比べ、圧倒的に少なかった。
「へえっ」

www.youtube.com【コロナ禍について想い出したことがある/今日も少しだけ】
 難病を抱える医療従事者の方がいた。
 感染すると、難病の治療とは真逆の治療をするので、決して感染はできないと。

 どうしたか。
 ある日突然、自分が実際に感染したと仮定した実験生活を送り出したのである。

 大型クルーズ船から始まったあれこれの事態を、正鵠に見抜いていた記憶があるのだった。
 事実、その後の感染状況は、ひとり暮らしの彼女の言う通りになっていく。

 ちなみに、実験生活で何より助かったのは、玄関の外に飲食物を届けてくれる方がいたことだったとか。
 とはいえ、孤立感・孤独感などには、さすがにまいったようである。

 話をうかがっているわたしの靴の感染予防のためのカバー等々。
 今でも記憶に刻まれている。

 最近、想い出した言葉がある。
 こうだ。
「一つの国が文明国家であるかどうかの基準は、高層ビルが多いとか、クルマが疾走しているとか、武器が進んでいるとか、軍隊が強いとか、科学技術が発達しているとか、芸術が多彩とか、さらに、派手なイベントができるとか、花火が豪華絢爛とか、おカネの力で世界を豪遊し、世界中のものを買いあさるとか、決してそうしたことがすべてではない。
 基準はただ一つしかない、それは弱者に接する態度である。」
 コロナ禍、武漢での封鎖の日々を日記に記し、公開した作家の言葉だ。
「そうだよな」と。

 曖昧になった、とはいえロシアンルーレットには変わりがない日々は、続いている。
 月日が経過した分、タチが悪くなっているなと。

 ともあれ、汚染水投棄後、この国で生き延びていくことは、野蛮だと痛感を。
 害を国内に留めず、世界の問題にしてしまった…。

 感染症問題も、自国内とはいえ、同様の構造なのだ。
 あえて実験生活を送らなくても、実験生活を強いられている日々。
 深海からの静かな声を、聴いていこうかなと。

 どうか、今日もご無事で。


【追記/「おっす」】
 今の賃労働の現場を離れることから、かつての同僚と食事を。
「いやあ、勢いがあるなあ」
 わたしより先に去った由縁。
 体感できたのだった。
 佳き日々を。