建前さえ無茶苦茶だ。
ましてや本音はもう、何が何やら。
今や、いや、今も、どこもかしこも汚染水だらけなのだったが。
水浸し。
泳ぐわけにもいかず、ましてや溺れるわけにもいかず、突っ立ている脚力もなく。
www.youtube.com【コロナ禍について想い出したことがある/今日も少しだけ】
難病を抱える医療従事者の方がいた。
感染すると、難病の治療とは真逆の治療をするので、決して感染はできないと。
どうしたか。
ある日突然、自分が実際に感染したと仮定した実験生活を送り出したのである。
大型クルーズ船から始まったあれこれの事態を、正鵠に見抜いていた記憶があるのだった。
事実、その後の感染状況は、ひとり暮らしの彼女の言う通りになっていく。
ちなみに、実験生活で何より助かったのは、玄関の外に飲食物を届けてくれる方がいたことだったとか。
とはいえ、孤立感・孤独感などには、さすがにまいったようである。
話をうかがっているわたしの靴の感染予防のためのカバー等々。
今でも記憶に刻まれている。
最近、想い出した言葉がある。
こうだ。
「一つの国が文明国家であるかどうかの基準は、高層ビルが多いとか、クルマが疾走しているとか、武器が進んでいるとか、軍隊が強いとか、科学技術が発達しているとか、芸術が多彩とか、さらに、派手なイベントができるとか、花火が豪華絢爛とか、おカネの力で世界を豪遊し、世界中のものを買いあさるとか、決してそうしたことがすべてではない。
基準はただ一つしかない、それは弱者に接する態度である。」
コロナ禍、武漢での封鎖の日々を日記に記し、公開した作家の言葉だ。
「そうだよな」と。
曖昧になった、とはいえロシアンルーレットには変わりがない日々は、続いている。
月日が経過した分、タチが悪くなっているなと。
ともあれ、汚染水投棄後、この国で生き延びていくことは、野蛮だと痛感を。
害を国内に留めず、世界の問題にしてしまった…。
感染症問題も、自国内とはいえ、同様の構造なのだ。
あえて実験生活を送らなくても、実験生活を強いられている日々。
深海からの静かな声を、聴いていこうかなと。
どうか、今日もご無事で。
【追記/「おっす」】
今の賃労働の現場を離れることから、かつての同僚と食事を。
「いやあ、勢いがあるなあ」
わたしより先に去った由縁。
体感できたのだった。
佳き日々を。