深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

撃てないこと/戦争・30

戦場で撃てない兵士はいたという。
「撃たれた人より多かった」とか。
いつ、どこで、何を通じて知ったのかは忘れた。
撃てるような訓練がされたとも知ったのだったが。
無能の力の組織化と言いたくなっていた。

▲『ポツネン』(写真)
切断され放置。
身悶えるかのよう。
ポツネンと。

www.youtube.com【マスクしないのかあ?/今日も少しだけ】
 マスクの件。
 わたしは当分、するのだろう。

 当分とは、いつまでか。
 少なくとも、志村けん氏が、「もういいよ」と言ってくれるまでか。

 そうでなければ、わたしの場合、失礼ということになる。
「志村氏の死を犬死に、いや、無駄死にさせてなるものか」と、今日、体感しているのだった。

 今後、どうなっていくのか。
 考えるだけで、恐ろしい。

 そうした折、久しぶりに野球を視る日々だったか。
 令和の清涼、大谷翔平氏の笑顔を視たいと応援していたのである。
 緊張もしていた。
「大丈夫なのだろうか?」と。

 試合内容もさることながら、コロナ禍がである。
 プロの世界だから、予防は最大限しているのだろう。
 とはいえ、感染症は、人を選ばない。

 あの笑顔が、後何年か、続いて欲しいものなのだったが。
 考え、成長していく野球選手の清涼さ。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「ううん」】
 大昔、寺山修司氏は、確か、こんなことを記していたはずだ。
「人がホーム(家庭)に帰るのを見て、どこが面白いのか」と。

 アングリースポーツとしてのサッカーを支持していた記憶がある。

 わたしは、首肯した。
 とはいえ、「あはは、大谷選手の笑顔を見られるだけでいいよなあ」と。
 佳き今日を。