広告主が、早々に逃げていく。
テレビには、気づけば出られない。
信頼していた共演者も呆れ果てている。
それでも、棒の1本でも持って、段ボール箱の上をステージとして、踊り、歌わざるを得ないのか、どうか。
www.youtube.com【弱者ということ/今日も少しだけ】
想い出した言葉がある。
こうだ。
「一つの国が文明国家であるかどうかの基準は、高層ビルが多いとか、クルマが疾走しているとか、武器が進んでいるとか、軍隊が強いとか、科学技術が発達しているとか、芸術が多彩とか、さらに、派手なイベントができるとか、花火が豪華絢爛とか、おカネの力で世界を豪遊し、世界中のものを買いあさるとか、決してそうしたことがすべてではない。
基準はただ一つしかない、それは弱者に接する態度である。」
コロナ禍、武漢での封鎖の日々を日記に記し、公開した作家、方方の言葉だ。
「そうだよな」と。
今も、噛み締めたい言葉だ。
現在、作家がどうしているのかは、知らない。
かの地を想えば、勇気ある行動だったのだろう。
書いて、公表すること自体。
一方、この国では、どうか。
今でも、言論の自由はあるのだろうかと。
マスコミとジャーナリズムは違う。
問題は、前者だ。
商売なのだから、当然、忖度をはじめ、沈黙はある。
会社員たちが突破できなくて当然だろう。
では、どうするのか。
バランスしかない。
そこに依拠するしかないのだ。
残念ながら。
だから想う。
何もかも奪われて、それでもなお、踊り、歌うのかと。
せざるを得ないことをするのか、どうか。
したら、惹かれるだろう。
そうした基本があるのか、どうか。
高齢者という弱者になって、痛感している。
どうか、今日もご無事で。
【追記/「さてっと」】
城ができる過程では、忖度され、妬まれもするだろう。
が、砂上の楼閣という言葉もある。
そもそも、城など、わたしたちには必要がないのだ。
そこは確認しておきたい。
まずは、生きて、暮らしていければいいのだった。
佳き日々を。