深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

それでもなお/唄・103

広告主が、早々に逃げていく。
テレビには、気づけば出られない。
信頼していた共演者も呆れ果てている。
それでも、棒の1本でも持って、段ボール箱の上をステージとして、踊り、歌わざるを得ないのか、どうか。

▲『まだ夏』(写真)
相変わらずの陽射し。
強い。
困るのだったが。

www.youtube.com【弱者ということ/今日も少しだけ】
 想い出した言葉がある。
 こうだ。

「一つの国が文明国家であるかどうかの基準は、高層ビルが多いとか、クルマが疾走しているとか、武器が進んでいるとか、軍隊が強いとか、科学技術が発達しているとか、芸術が多彩とか、さらに、派手なイベントができるとか、花火が豪華絢爛とか、おカネの力で世界を豪遊し、世界中のものを買いあさるとか、決してそうしたことがすべてではない。
 基準はただ一つしかない、それは弱者に接する態度である。」

 コロナ禍、武漢での封鎖の日々を日記に記し、公開した作家、方方の言葉だ。
「そうだよな」と。
 今も、噛み締めたい言葉だ。

 現在、作家がどうしているのかは、知らない。
 かの地を想えば、勇気ある行動だったのだろう。
 書いて、公表すること自体。

 一方、この国では、どうか。
 今でも、言論の自由はあるのだろうかと。

 マスコミとジャーナリズムは違う。
 問題は、前者だ。
 商売なのだから、当然、忖度をはじめ、沈黙はある。
 会社員たちが突破できなくて当然だろう。
 では、どうするのか。

 バランスしかない。
 そこに依拠するしかないのだ。
 残念ながら。

 だから想う。
 何もかも奪われて、それでもなお、踊り、歌うのかと。
 せざるを得ないことをするのか、どうか。
 したら、惹かれるだろう。

 そうした基本があるのか、どうか。
 高齢者という弱者になって、痛感している。

 どうか、今日もご無事で。


【追記/「さてっと」】
 城ができる過程では、忖度され、妬まれもするだろう。
 が、砂上の楼閣という言葉もある。

 そもそも、城など、わたしたちには必要がないのだ。
 そこは確認しておきたい。
 まずは、生きて、暮らしていければいいのだった。
 佳き日々を。