嫌いなことは買いもの。
単に苦手なだけか。
「わたしを買って」と訴えてくる膨大な商品に戸惑っている?
それでも、そそくさと必要なものを購入せざるを得ない日々。
結果、呆れる、包装等々のゴミを前にして。
※ゴミにしたくはないのだったが。
ただ、捨てるしかないものが、実に多いのである。
呆れるほど。
【嫌な感じ?/今日も少しだけ】
「あちゃあ」
そう感じた。
例えば、漢字の読み方。
某麻生氏は公の人だから、苦笑・失笑、そうして罵倒されてしかるべきだ。
一方のわたしは、単なる平均的アウトサイダーだから、「許してくださいね」と済ませたい^^。
ウェブで知った、読み間違いの多い漢字。
例えば、長閑を、「のどか」と読まず、長らく、「ちょうかん」と読んでいた。
「湯中り」は、かなの「り」があるので、「ゆちゅう」とは読まずにきたのではあるが。
澄み切って明るいという意味を持つ澄明は、どうしたわけか、「ちょうめい」と読むことができた。
かつて、辞書で調べたのだろうか。
そうした中、今でも、恥ずかしく想い出すのが、市井を、「いちい」と読んでいたことだ。
高校生のころ、少人数の講演会で、そう言いつつ、講演者に質問してしまったのだ。
聴かれた方は、一瞬、分からなかったが、隣にいた方が、文脈から忖度、耳打ちして、ことなきを得た。
今でも感謝している。
耳打ちしてくれたのが、かわぐちかいじ氏、。
答えていただいたのは、宮谷一彦氏だ。
恥ばかりの人生。
「あはは、仕方ねえなあ」
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/歩いているなあ】
都内に茨城など、賃労働で歩いていた。
明日も歩く。
佳き今日を。