深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

書き続けた人/言葉・224

書きにくいとき書き続けた作家がいる。
戦時下、体勢支持の出方をときにして。
発言し続けたのである。
関わらないという選択肢はなかったのだった。
たとえ発表しなかったとしても、関係の中で生きていたのだ。

金子光晴は、反戦詩人との見解。
 ただ、大政翼賛の詩も書いていたという。
 それも気になるが、さらに気になるのは、本人が確か、「戦争がなければ、反戦詩などを書かなくてもよかった」といったようなことを発言した点だ。
 要は、反戦詩は、たいしたものではないと。
「すげえなあ」
 あれだけの詩歌を書き、たいしたものではないのだとしたら、一体…。

▲『青空』(写真)
青である、青空である。
他には何もない。
「いやあ、すげえなあ」
そうした感覚だったか。

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【面倒な/今日も少しだけ】
 嘘。
 生きていれば、つくこともあるだろう。
 いや、つかないわけがない。
 例えば、賃労働の現場で。

 ただ、面倒だった。
 そう、面倒。

 嘘をついて得をしても、「だから、どうなのか」と。
 それは、得とは言えないのだろう。

 できるだけ、嘘をつかないようにしてきたつもりだ。
 が、つもりはつもりであって、実際はどうだったのか。

 事実、現実を言葉で描いたとしても、一部しか表せないのだから。
 そう、簡単ではないのだった。

 とはいえ、だ。
 元首相は、政治権力のトップにいて、ついてはいけない嘘を連発。
「やばいよな」と。

「面倒な奴」
 周囲にいれば、そう想ったのではないか。

 嘘などつかなくてもいい世界がもし、ヴィジョンとしてあるのなら、そのためにも、嘘はいけない。
 嘘が続いてしまうからだ。
 子どもでも分かることだろう。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「やっぱすげえなあ」】
 よく歩き、メモをとり、笑って、話し、口を開けて食事も。
 何が何やらの嘘つきばかりの為政者たち。
「いやあ、これまたすげえなあ」

 佳き今日を。