書きにくいとき書き続けた作家がいる。
戦時下、体勢支持の出方をときにして。
発言し続けたのである。
関わらないという選択肢はなかったのだった。
たとえ発表しなかったとしても、関係の中で生きていたのだ。
※金子光晴は、反戦詩人との見解。
ただ、大政翼賛の詩も書いていたという。
それも気になるが、さらに気になるのは、本人が確か、「戦争がなければ、反戦詩などを書かなくてもよかった」といったようなことを発言した点だ。
要は、反戦詩は、たいしたものではないと。
「すげえなあ」
あれだけの詩歌を書き、たいしたものではないのだとしたら、一体…。
【面倒な/今日も少しだけ】
嘘。
生きていれば、つくこともあるだろう。
いや、つかないわけがない。
例えば、賃労働の現場で。
ただ、面倒だった。
そう、面倒。
嘘をついて得をしても、「だから、どうなのか」と。
それは、得とは言えないのだろう。
できるだけ、嘘をつかないようにしてきたつもりだ。
が、つもりはつもりであって、実際はどうだったのか。
事実、現実を言葉で描いたとしても、一部しか表せないのだから。
そう、簡単ではないのだった。
とはいえ、だ。
元首相は、政治権力のトップにいて、ついてはいけない嘘を連発。
「やばいよな」と。
「面倒な奴」
周囲にいれば、そう想ったのではないか。
嘘などつかなくてもいい世界がもし、ヴィジョンとしてあるのなら、そのためにも、嘘はいけない。
嘘が続いてしまうからだ。
子どもでも分かることだろう。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「やっぱすげえなあ」】
よく歩き、メモをとり、笑って、話し、口を開けて食事も。
何が何やらの嘘つきばかりの為政者たち。
「いやあ、これまたすげえなあ」
佳き今日を。