毎朝、お線香をあげ手のひらを合わせても、成仏とは関係がない。
仏壇の中の人々は、もういないのだ。
そうせざるを得ないから、しているだけか。
死者たちを想う。
そうして、命をムダにしないようにと、祈る。
www.youtube.com【老いかあ/今日も少しだけ】
ハルノ宵子氏の著作『隆明だもの』(晶文社)。
いろいろと感ずるところがあった。
例えば、「老いた肉体に閉じ込められる」との言葉。
「ううむ」と唸り、「おれもそうなってきているな」と。
起床時、足もとが覚束ないときがあるのだった。
ここ何年か、とにかく、ながら勉強ができなくなっていることにも、「何とかならないのか」と。
いずれにせよ、閉じ込められた際、それでも、開放感は持っていたい。
鍵は、養生にあるのだろう。
ちなみに、わたしには、野望がある。
怒らない、素直な、人様に唾棄されない、明るく静かなジジイになりたいという野望なのだったが。
そのためにも、日ごろから、機嫌よく暮らしていきたいのだった。
仮に認知症になったときでも、残存させたいからである。
どうか、今日も、ご無事で。
それにしても、怒髪天を突くようなことばかりが、「よくもまあ起きるな」と。
為政者絡みである。
困ったものだ。
【追記/「さてっと」】
眠くはない。
が、朝のことを考え、眠ることにした。
佳き日々を。