深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

成仏?/合掌・66

毎朝、お線香をあげ手のひらを合わせても、成仏とは関係がない。
仏壇の中の人々は、もういないのだ。
そうせざるを得ないから、しているだけか。
死者たちを想う。
そうして、命をムダにしないようにと、祈る。

▲『またしても合掌』(写真)
近隣の小さな図書館。
今月は、『故人の歩んだ道』がテーマだった。
最近亡くなられた人たちの著作等が、並べられていたのである。
故人には申しわけないが、読みたい人と、そうでない人に分かれた。
「仕方ないさ」
ボケているのは、慌てて撮ったから?

www.youtube.com【老いかあ/今日も少しだけ】
 ハルノ宵子氏の著作『隆明だもの』(晶文社)。
 いろいろと感ずるところがあった。

 例えば、「老いた肉体に閉じ込められる」との言葉。
「ううむ」と唸り、「おれもそうなってきているな」と。

 起床時、足もとが覚束ないときがあるのだった。
 ここ何年か、とにかく、ながら勉強ができなくなっていることにも、「何とかならないのか」と。

 いずれにせよ、閉じ込められた際、それでも、開放感は持っていたい。
 鍵は、養生にあるのだろう。

 ちなみに、わたしには、野望がある。
 怒らない、素直な、人様に唾棄されない、明るく静かなジジイになりたいという野望なのだったが。

 そのためにも、日ごろから、機嫌よく暮らしていきたいのだった。
 仮に認知症になったときでも、残存させたいからである。

 どうか、今日も、ご無事で。

 それにしても、怒髪天を突くようなことばかりが、「よくもまあ起きるな」と。
 為政者絡みである。
 困ったものだ。


【追記/「さてっと」】
 眠くはない。
 が、朝のことを考え、眠ることにした。
 佳き日々を。