和平に関しての大事な講義が、熱を込めて行われている。
が、その間にも、ミサイルが飛び交うことを知っていた。
一瞬、距離がつかめなくなったものだ。
今後も続くのだろう。
聴くべき人は聴かないのだろうが。
▲『「あらま」』(写真)
隣町にある図書館の今月の特集コーナー。
「そりゃあ、考えているさ」と。
「ただなあ、老後の齢を迎え、考えても遅いんだよな」とも。
とはいえ、考えないよりいいのか?
www.youtube.com▲聴いた。
そうして、情感を久しぶりに感じたのである。
【後悔先にも後にもたたずってか/今日も少しだけ】
後悔。
そりゃあ、あるさ。
夜中にガバッと起きてしまうことが、まったくないわけではない。
「ただなあ」と。
ただ、次の準備、そうした方向へ行けるための後悔だといいのだったが。
そこが、なかなかね。
ウェブで記事を読む。
高齢者の後悔の多くは、とどのつまり、「やりたいことをしたかった」というあたりに集約できそうだ。
わたしは、不遜にも、「ふうん」と。
今から、やればいいではないのかと想うのだった。
無理?
それならもう、あきらめればいいだけだ。
そうして、「今日から、今から始められる、やりたいことをすればいいじゃん」と。
後悔したというのなら。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「あらま」】
今日は、賃労働が休み。
すると、案の定の大雨。
「ケッ」
合羽を着込み、あれこれ動き回った。
「ま、愉しむしかないわな」
佳き日々を。