いつのころからか。
賃労働で、効率と成果ばかりが求められるようになったのは。
高度経済成長の時代から?
想う、「飢餓を払拭するため、農業が誕生したときからかもなあ」。
いずれにせよ、辛く寂しいことだ。
▲『呼ばれた』(写真)
「あっ」
呼ばれた気がした。
「ああ、そっか」
木にとっては迷惑だろうが、座りに行くことにした。
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▲CCRの名歌。
「光ある限りと言うが、今、光は…」
そうしたことも感じていた。
【「ヒップホップかあ」/今日も少しだけ】
NHKの『世界サブカルチャー史/ヒップホップ編』の最終回を見た。
www.nhk.jp 言葉の壁があり、縁遠かったと実感しながら、「へえっ、そうだったのか」と。
多くの表現者や世界への伝播、資本の論理等々、刺激的な内容だった。
例えば、「黒人だから非難されない」といった問題。
「なるほどねえ」と。
「大丈夫じゃないと言っても大丈夫になった」という言葉にも、「そうだったのか」と。
表現の在り様を変えたのだろう。
日本人のラッパーを紹介したときのことだ。
大昔、知り合ったラッパーが紹介されたので、あらためて、「へえっ」と唸ってもいたのだった。
その中でも、「韻を踏む→記憶に残る→伝承されていく」という論法には、「分かるなあ」と。
口承としての文化について、アレン・ギンズバーグを若いころ読んでいたからだ。
もっとも、ディランという例もあるのだったが。
終盤、「資本主義に支えられた反資本主義のメッセージ」という文脈にも、「そりゃあ、そうだわな」とも。
ヒッピーのころの問題でもある。
「まさに」というわけだ。
問題は、相変わらず同じ場所にあるのだ。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「あらま」】
アップできずに、寝こけていた。
「あらま」
佳き日々を。