自分の中の少年と再会させてくれた。
いたはずの少女とも。
自分とやらに戻れる契機だったのである。
何のことはない、青空のもと、汗をかいた雑草の原っぱにいたときのことだ。
夏は、老人をも子どもにさせる?
▲『助けられた場所』(写真)
梅雨である。
思わず逃げ込んだ場所。
幸運にも、しばらくすると、雨は遠のいていた。
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▲久しぶりに聴いた。
「うむ、やっぱいいな」
【唄を聴いていた/今日も少しだけ】
賃労働がある朝、朝陽が昇る方向へと向かう。
賃労働を終えると、夕陽が沈む方向へ。
まずし、あ、まぶしい^^。
ここ2、3日は、ヨ・ラ・テンゴを聴いていた。
力がないからのオルタナティブではない、技のあるグループ。
例えば、上に張り付けた唄を聴くと、それが分かる。
かつてのポップスを今に通用させている。
「いいよな」
♪ぼくらは多分、見つけ出せるかも知れない
自分たちが探し求めているものを
「なるほどね」と。
ただ、別に見つけ出せなくても、せざるを得ないことで埋まっていく日々ではないのかなと。
そう、相変わらず雨に打たれても、エッサホイサッサなのだった。
梅雨の鬱陶しさがしばらくは続く。
まずは、「お見舞いを申し上げちゃいます」といったあたりか。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「さてっと」】
図書館で借りてきた『明日の友』という雑誌。
その266号の16ページから17ページが、参考になった。
月々のお金の出し入れがよく理解できたのである。
「ま、うまくいかないけれど、参考にはなるな」
佳き日々を。