音楽は、今も記録のメディアだ。
と同時に、記憶のそれでもある。
惹かれる、今、鳴った音自体、すでに過去のものなのだから。
記録と記憶の渦の中。
汗をかいていることも気にならず、次へ次へと音を浴びていく。
▲『富士さま』(写真)
雪が消えていた。
とはいえ、まだ少し残っている。
「寒いのか、いいなあ」とお気楽にも感じていた。
www.youtube.com▲夏である。
単純にレゲエを。
初めて聴いたとき、「うん?」と。
覚えがあったからだ。
「あっ、そっか、ブロンディで聴いたのか」
【富士さま/今日も少しだけ】
富士山の写真。
メールで、友人に送付した。
すると、次のような返信が。
>「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」だし、「万物は流転」するものだけれど、「年年歳歳花相似たり」とか「国破れて山河あり」なんていう、古めかしい常套句を思い出した。
なるほどと。
両義的だし、多義的。
言葉自体が、そうなのだろう。
決め付けないことだ。
そう、決め付けているわけではないのだったが。
要は、バランスをとっていくしかないのだろう。
そう、痛感している。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「さてっと」】
本日は、賃労働が休み。
そこで、和菓子屋にはじまり、公園2か所、図書館2館、床屋、ヨーガ教室等へ。
そうだ、今年初の屋外プールで、1時間あまり愉しんだか。
結果、今、とても眠い。
佳き日々を。