深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

切れないように/この領土で・899

生きていくうえで、何が大切か。
支え合いと痛感してきた。
老いてみれば、人の手が杖になる。
若いときにしろ、仮に勘違いであったとしても、手をつなげば虹を感得できるときも。
巧妙な分断は今も進んでいる。

▲『講演会へ』(写真)
多くの方々とともに、椅子に座る。
「久しぶりだなあ」
それだけで、気持ちが落ち着いていった。
ちなみに、写真は、人がまだ少ないときにスマフォで撮ったもの。

www.youtube.com▲ラジオで聴いた。
 そうか、こんな音盤もあるのかと。


【やっぱ面白いよな/今日も少しだけ】
 久しぶりに近隣の仏教系大学へ。
 無料の講演会参加のためで、講題は、「お山する/霊山参詣と日本人」。

www.youtube.com 講演は、上の
www.youtube.com www.youtube.com  
 をクリックすれば、見て、聴くことができる。

 日本各地に坐す霊山への参詣が、日本人にどのような意味を持ってきたのかがテーマである。
 修験者の話など、興味を惹かれた。

「釈迦は、悟りを目指したのであり、超能力のために仏教はあるのではない」
「修験者は超能力を目指すので仏教ではない」
 浅学なわたしにしてみれば、いくつもの発見のある言葉が横溢していた。

 講演後、参加者から、山と女人禁制の件で質問が出た。
 演者は、「差別だけではない」と喝破、「へえっ」と。
 むしろ思いやりだったのか?

 帰路、三大霊山には行ってみたいとは思ったものの、「阿弥陀如来薬師如来、あるいは観音様等々の違いさえ知らないものなあ」と。
 あらためて無知の涙と苦笑を。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 あれこれの作業中である。
 手を止めて、本ブログに向かっているのだった。

 今日は陽射しが暖かく、公園のベンチに座っていて、気持ちが和んだものである。
 背中側が温められ、尻が温かいと落ち着く身体性に、あらためて気づきもした。
 佳き日々を。