深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

いろいろな顔/この領土で・756

自然には、上級も下級もない。
あるとすれば、人の手が入ったとき。
人にだって当然ないさ。
ただ、どうしたわけか、野卑な手合いがいるにはいる。
だからといって軽蔑はしないものの、ときに批判はするだろう。

▲『岩波新書だって?』(写真)
公園のベンチ。
「およみ下さい」と書かれてあった。
勝手に持っていってくださいというわけだ。
いやあ、この暑さだもの、遠慮するわ。
手にさえしなかったが、「申しわけない」と。

▲『自転車道』(写真)
「あぢい」
緑の中にいても。
風をさえぎってしまっていたのである。

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【哀悼だなんて/今日も少しだけ】
 いつの日だったか。
 殺されて話題となっている人が、「消えるといいなあ」と想ったことがある。
「あんな人たちに負けるわけにはいかない」と言われる、はるか以前のことか。

 そうして、こうも想ってきた。
「できれば、あいつより長生きはしたいよな」

 2つのことが現実となった。
 現実となってしまったのである。

 司法で裁くのが、本来なのだろう。
 が、それができないのだとしたら?

 今、想う。
 言いなりになっていた裁かなかった人もまた、殺人に加担したのだと。
 裁いていれば、演説に立つこともなかっただろうから。

 身内をはじめ、仲間・友人らは、「一体何をしていたんだ」と。
 改心は無理でも、殺人に走るしかない状況を回避できただろうに。

 してきたことを想えば、ふさわしくないとは分かっている。
 が、記したい。
「哀れ也」

 それにしても、与野党の議員が同じことを言っている。
 違和感があって、当然だ。
 石井こうき議員への殺人事件と、雲泥の差であるからである。

 いずれにせよ、与野党ともに、司法で裁かれる状況へ持っていかなかった、いけなかったのだ。
 そのことを、恥じているのか、どうか。

 もっと自分を問えよ、自分に率直になれよと。
 そうも痛感している。

 と同時に、あの嘘をついても平気で、人々をないがしろにしてきた人の方法や姿勢、考え方が残存することこそ、罪なのだと。
 あってはいけないことだろう。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「ううむ心理今日かあ」】
 明石市の市長が言うように、何で石井こうき議員を報道しないのかと。
「いっそ、天誅だったらよかったのに」とさえ体感してしまった。

 宗教団体の分派闘争の流れ弾に当たった?
 いやはや、「利用されるだけだよな」というわけだ。
 佳き日々を。

花々との遭遇/マザーネイチャー・70

自転車で走っていたら花々と出逢ってしまった。
何故かは分からないけれど、嬉しかった。
今日はだからか、次の言葉とも出逢ったのである。
「花は傷つけないし、花には傷つかない」
薔薇の例もあるにはあるが。

▲『ひと休みを』(写真)
小休止。
涼風が、何よりだべさ。
まだ始まったばかりの暑さが、新鮮だったころの写真^^。

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【友あり/今日も少しだけ】
 友人が書いてきた。
 こうだ。

 天誅ともなれば、三条の河原に首を晒されたのでしょう。
 しかし、死者の美談・美化をことのほか好む国民性であることを鑑みると、どうも神格化されそうな気配を感じます。
 国葬にし、さらに東郷神社のような神に祭りあげるような可能性も。
 そうした中で、最大の危惧は言論封じ。
 生前の業績の1つが言論統制でしたが、その総仕上げとして、自らの死を持って森友・加計・桜の会等々の疑惑を含む言論封殺を達成する…、ということになるのでしょう。
 実際、すでにそうした空気感が醸成されつつあります。
 かてて加えて、選挙の人柱として最大限利用し、かつての大平正芳氏のごとく、同情票をかき集めての改憲勢力大勝ということにも。
 結果、昨日の岸田総理緊急記者会見の場で、TBS・金平キャスターが指摘したように、戦前の将校クーデターのような時代感が戻ってくるのかもしれません。
 実際、世界は軍拡化に傾斜し、日本もそれに遅れるなとの論調が力を持ち始めているだけに、これを好機として軍閥勢力が台頭する可能性が大でもあります。
 それにしても、あの誅殺犯、洗脳だか催眠だか分からないけれど、鉄砲玉としての役割を果たしたのち、ケネディのときのオズワルドのようなことになる可能性も危惧します。
 何か(誰か)の虎の尾を踏んだ結果として…。

 付け足すことは、ない。
 同感だからだ。


【追記/「いやはや」】
 奈良では、献花で400メートルの列なんだとか。
 わたしは、悼む気持ちにはなれないんだが。

 すると、先の友人は記してきた。
 こうだ。

 一億総懺悔の国だもの。
 同調力。
 このくらいで収まればいいのだけれど。
 佳き日々を。

感謝だなんて/この領土で・755

感謝とは何か。
謝、つまりありがたいと感じているというわけか。
想う、この国の為政者に謝を感得してきたことはなかったと。
尊を、敬を感じたことも。
寂しいものである、人の生命がないがしろにされ続けて。

▲『緑の中へ』(写真)
あはは、あはは。
暑いぞおっ。
脳に来るぞおおおっ。

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【いろいろな人がいるものだ/今日も少しだけ】
 過日観た映画『もったいないキッチン』。
 そこで知ったのが、昆虫食の方である。
「いろいろな方がいるなあ」

 昆虫食。
 とても美味しいそうである。

 ラーメンなど、格別だとか。
 食してみたい気も、少しだが、ある。

 実は、国連でも昆虫食を推奨しているのだそうだ。
 食糧難の暗雲。 

natgeo.nikkeibp.co.jp

 自給率の低い日本なら、昆虫食は、真剣に考えたほうがいいのだろう。
 蜂の佃煮など、今でも売られている。
 今後、昆虫食が一般食となるのか、どうかは分からない。

 食べないでも生きている方が本を書いていた記憶がある。
 が、餓死との関係が、分からない。

 どもあれ、美食は大切だが、今後も続けられるとは限らないのだった。
「どうなるんかなあ」

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「えっ?」】
 今日、ふと、想い出していた。
 9・11のときのことだ。

 欣喜雀躍とした高齢者がいたという。
 実は、この日本に。
「ざまあみろ」と跳ねたそうだ。
 凄いことである。

 そうして、今日、次の言葉も何十年かぶりで想い出していた。
「本来、可変的な敵を、自己陣営に転化し得なかった自己の無能の証明」
 確か、『死霊』を書いた作家の言葉だ。

 今日のニュース。
 単なる驚きはなかった。
 戦争をはじめ、いやな感じを証明するかのような事態が、次々に起きてきたからか。
 今後は、もっと大きくて見えない力が、蠢いていくのだろう。

 今夜は久しぶりに呼吸法を試したのだったが。
「明日もするか」
 それでもなお、佳き日々を。

人を知らない/地域へ・1

現実には逢ったことがないものの、知っている人。
一方で、近隣の市井の人の多くは知らないでいる。
あまたのメディアの影響下にあるのだった。
であるならば、余計に注意深くならなければと。
選挙へは、行く。

▲『裸族、登場』(写真)
裸。
気持ちは分かる。
「ただなあ」と。
長袖を着ていたほうが、からだにはいいかも。
いっそ、皮膚を脱ぎたい?

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【今、話し出さないと/今日も少しだけ】
 マネーの分配ゲームが続いている。
 概ねロクなものではない。

 国が、人々を守るわけがないのは、先の大戦で証明されている。
 今後も、そうなのだろう。

 仮に野党が政権を奪取したら?
 利権で喰ってきた連中が、命がけでジャマをしてくるだろう。
 現にそうだったのだから。

 野党が力不足?
 あはは、その発言、お呼びではない現状だ。
 とどのつまり、困るのは、そうした現実通の子どもたちなのだから。
 巻き添えはご免だが、そうも言っていられない今だ。

 誰かが言っていた。
「経営層が何故、今、何も言わないのか」と。
 保守派でさえ、そう感じているのだったが。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 利権で動く国。
「たまらないよなあ」

 佳き日々を。

続けよう/天下のヨーガ野郎・10

簡単なヨーガのポーズをときおりしている。
股関節が硬くなり難儀になってきたが。
ただ、教室へ通うと、「腰痛は股関節を柔らかくするといい」などの知恵を得られる。
肩こりには腕を広げるポーズ。
続けよう。

▲『もう食べられるんじゃあないのか』(写真)
緑の花。
満開か。
「もう食べられるよな」

www.youtube.com【3つほど/今日も少しだけ】
■浮草。
「いい言葉だな」
 そう想うときと、真逆に感じるときが。
 言葉というものの側面か。

■ウェブで、いつでも読める。
 結果、しっかり調べず、分かったつもりに。
 ついには、考えないことにも。
 とにかく、調べることが簡単にはなった。
 次から次へと、事実という名の主観的な意見も読めるのだった。
 いいときもあれば、やばいときもある。

■それにしても、対中という言葉。
 どうなのかなと。
 事実、お客さまとして、助けられている事実はあるのだったが。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「あ、そうなるか」】
 耳と口の王。
 聖。
「そういうことか」
 佳き日々を。

何処?/身体から・205

人は概ね半径2、3m内で活動をしているかのようだ。
賃労働に調理、掃除、果ては瞑想にいたるまで。
その先は体感していない、できない?
かつて想像力という言葉を知った。
身体・心・脳の一体化の先はどこ?

▲『個人』(写真)
暑い中。
読書をする人がいた。
涼風が何気に吹いてきていた?

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【対話をと/今日も少しだけ】
 人は、人を叩けるのか。
 実際、叩いている現状なのだが。

 具体的な暴力もさることながら、ウェブ上では、汚い言葉が跋扈している。
 罵倒等々だ。

 いわゆるネトウヨの連中の発信しているものを読んだ。
 与党の某女性議員のように、平気で嘘を言っていた。
 いや、嘘の自覚もない?

 読んだことを後悔した。
 会話どころか、対話への意志さえ感じられない認識不足としか言いようがない言葉。

 わたしは、想う。
 生涯にわたって、つき合える人の数は、限られている。
 だから、せめて、対話をと。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 一段落すれば、また艱難辛苦が始まる賃労働。
「眠いなあ」

 佳き日々を。

意識しても/令和四季派・17

「あぢ~っ」
ダラダラしかねないのだった。
が、「えいっ」とばかり動き出したほうが得策のときも。
そのほうが、コントロールできない部分を意識できるのだった。
意識し、どうなるものではない人の生死だが。

▲『自転車を止めた』(写真)
ひと呼吸入れたかった。
だいぶよれて来た自転車だ。
が、まだまだ乗れる。
新車を買ったほうがいいときもあったが、愛着がある。

www.youtube.com【「きゃっ」/今日も少しだけ】
 もはや座席をぶん取るのが、当たり前の様相か。
 電車内の優先席だ。

 わたしは、今夏69歳になるのだった。
 賃労働のため、毎日、乗車をしている。
 ただ、始発駅を利用しているので、並んで待てば、座ることが可能だ。

 ある日のこと。
 優先席に座ろうとした。
 すると、どどっと追い抜かれ、若い人に座られてしまったのだったが。

 あはは、「間抜け」と言われてしまう時勢か。
 もちろん、そうした人々ばかりではない。
 が、さすがに、たまげたのだった。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「そ、そうだったのか」】
 昨日も近隣の大学へ。
 無料公開講座を拝聴するためだ。

 テーマは、「なぜ阿弥陀堂より御影堂のほうが大きいのだろうか?」。
 考えたこともなかった。

 結論は、教えを聴聞するスペースとしての御影堂。
 その後、随喜となり、念仏をとなるのだが、そこは阿弥陀堂となる。
 要は、スペースの目的が影響しているというわけだ。

 知らないことだらけだなと。
 まったくもってして。

 佳き日々を。

狭量さ/老道・184

加齢で、できなくなることは多々ある。
その中でも留意したいことが。
例えば、滑舌があやしくなる点。
何より避けたいのは、人の話を聴けなくなってしまうことか。
要は狭量さには注意していこうというわけだ。

▲『曲がり角』(写真)
東京・渋谷である。
「こんなところもあるんだな」
曲がり角の、その先にも、緑。
「いいなあ」
緑道が続いていた。

www.youtube.com【出逢っていこう/今日も少しだけ】
 珠玉のような人──。
 そうした言葉と出逢った。
「ううん、いいなあ」

 ただである。
 ただ、問題は関係か。

 どんなにいい方であっても、周囲が阿呆ばかりでは、くすむだろう。
 その逆もあるか。

 ただ、極悪人は確かにいるのだ。
 と同時に、珠玉のような人もまた。

 大切なことを求めるのなら、まず己にか。
 そうでなくてはいけないなと。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「危険な暑さの中、だべさ」】
 金曜日夜、先輩たちと、久しぶりに食事を。
 談論風発、啓発される話をさまざまにうかがった。
 自由な雰囲気が身心に注入されたのである。
 それこそが、大のつく収穫だったか。

 昨日は、朝一番で屋外プールへ。
 井戸水プールで知られてもいるのだが、「あらま、ぬるいな」と。
 この猛暑だ、「仕方ないか」。

 その後、近隣の大学へ。
『女性と修行』をテーマとした無料公開講座を聴きに行ったのである。
 聖なる場所に、女性の修行者は入れない。
 そのくせ、荷物を運ぶ女性の強力(ごうりき)は入っていた…。
 仏教とジェンダー、差別というより区別の在り様に疑問を呈する内容でもあったのだが、「ううむ」と。
「いい気なものだな、修行だなんて」と痛感を。

 さてっと。
 今日もまた、昨日同様、動くかと。
 それにしても、宮谷一彦さんの死は悔やまれる。
 佳き日々を。

疎外感/当世労働者覚書・148

賃労働から逃れられない日々。
続けるために大切なことは?
要は、やったかいがあったかどうかだろう。
渇いた喉を潤す如く、成果が伝わっていくといいのだったが。
そうでなければ、疎外感はさらに募るばかり?

▲『親亀の背中に』(写真)
♪親亀の背中に子亀を乗せてえ
子亀の背中に孫亀乗せてえ
孫亀の背中にひい孫亀乗せてえ
親亀こけたら
子亀孫亀ひい孫亀こけたあああっ
ま、ひと言で、「親亀こけたら、みなこけた」。
みたいなニッポン・チャチャチャ?

▲『妙な塔』(写真)
緑の上。
妙なものがニョキニョキと。
東京タワーに対するような想い入れはないなあ…。

▲『板に願いを』(写真)
星ではない。
板にだ。
多くの人たちが願い、祈っていた。

www.youtube.com

www.nicovideo.jp【今日も少しだけ】
■実はあれこれに、手を出していきたい。
 そうでないと、狭まっていくからだ。
 とはいえ、日々、賃労働に追われる高齢者なのだったが。
 それでもなおと。

■ゆるんできた。
 だらしなくもなってきたなと。
 加齢だけではないか。
 実際、わたしと同年齢でも、具体的にも比喩的にも走っている方はいる。

相倉久人さんは、持続力に重きを置いてはいなかった。
 むしろ、スパッと切ってしまうほうが、難しいと。
 確かに。
 もちろん、人によって違うのは分かる。
 が、今のわたしにとっても、持続よりも難しいのは、切断か。
 そも、持続は工夫で何とか凌げるケースもあるのだから。
 いい加減とも言えるか^^。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「えっ?」】
 合掌。
 久しぶりの休みに訃報。
「まいったなあ」

 宮谷一彦さんが亡くなったというのだ。
 新聞にも訃報が。
 これには驚いた。

 以前、記したことを再掲したい。
 こうだ。

 ■マンガ、中でも、宮谷一彦氏の存在は大きい。
 単独の単行本が出たときは、書店へ慌てて出向いたはずだ。
 とにかく、10代のころ、ロックと並び、リアルだったのがマンガである。
 ■最近、宮谷氏の描いた『ライクアローリングストーン』(フリースタイル)が初の単行本となったときには、たまげたものだ。
 ディランのノーベル賞には、それほど驚かなかったものの、何が起きたのかと。
 ■著者には、高校生のころ、お話をうかがったことがある。
「迷惑だったろうなあ」と。
 頭部打撲で入院、無事に退院できた後だったか。
「君は君の場所でがんばるといい」
 そう言われた記憶が、半世紀以上経っても明確にある。
 まだ井戸が設置されたアパートでのことだったと想い出す。
 ■今もなお、新作を待ち続けているマンガ家の方なのだった。
 矢作俊彦氏との対談では、描いていると言っていたが、その後、どうなったのだろう?

 新作は読めなくなったというわけか。
 どうなのだろう…。
 合掌を幾度も。
 佳き日々を。

やり残し/死を想う・51

『今日は死ぬにはもってこいの日』という書籍があった。
が、今日も、もってこいではないのだが。
理由?
やり残したことに想いは至ったのだった。
が、誰だって、いつだって、どこでだって、やり残すのだろう。

※ウェブで調べると、まだ発売されているようだ。
 版元は、めるくまーる。
 ネイティブ・アメリカンの考え方を紹介していた記憶がある。

▲『特等席』(写真)
今のわたしには、何よりの席だ。
ゆっくりできる椅子もいい。
が、今はここだ。
席が、場所と密接不可分なところがいい。

www.youtube.com【子どもじみていていいさ/今日も少しだけ】
 敵同士。
 いつまでも、終わりが視えず、対立し合っていていたとする。

 仮にトップ同士が論じ合ったとしよう。
 そこでだ。
 いい方向へいったことが、過去にあったのだろうか?

 浅学につき、知らない。
 覚えがないだけか。
 それならいいのだったが。

 互いに銭湯に入り、マッサージでもし合えば?
 そうしたことが必要なのかも知れない。

 あり得ない?
 そう、子どもじみた発想だ。

 が、そうでもしないと、もう治まりなど、望めないのではないのか。
 そう想う。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「屋外かあ…」】
 いよいよ7月か。
 今日から、屋外プールが開始されているはずだ。
 この2年、寂しい想いをしてきたものだ。

 佳き今日を。