深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

狭量さ/老道・184

加齢で、できなくなることは多々ある。
その中でも留意したいことが。
例えば、滑舌があやしくなる点。
何より避けたいのは、人の話を聴けなくなってしまうことか。
要は狭量さには注意していこうというわけだ。

▲『曲がり角』(写真)
東京・渋谷である。
「こんなところもあるんだな」
曲がり角の、その先にも、緑。
「いいなあ」
緑道が続いていた。

www.youtube.com【出逢っていこう/今日も少しだけ】
 珠玉のような人──。
 そうした言葉と出逢った。
「ううん、いいなあ」

 ただである。
 ただ、問題は関係か。

 どんなにいい方であっても、周囲が阿呆ばかりでは、くすむだろう。
 その逆もあるか。

 ただ、極悪人は確かにいるのだ。
 と同時に、珠玉のような人もまた。

 大切なことを求めるのなら、まず己にか。
 そうでなくてはいけないなと。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「危険な暑さの中、だべさ」】
 金曜日夜、先輩たちと、久しぶりに食事を。
 談論風発、啓発される話をさまざまにうかがった。
 自由な雰囲気が身心に注入されたのである。
 それこそが、大のつく収穫だったか。

 昨日は、朝一番で屋外プールへ。
 井戸水プールで知られてもいるのだが、「あらま、ぬるいな」と。
 この猛暑だ、「仕方ないか」。

 その後、近隣の大学へ。
『女性と修行』をテーマとした無料公開講座を聴きに行ったのである。
 聖なる場所に、女性の修行者は入れない。
 そのくせ、荷物を運ぶ女性の強力(ごうりき)は入っていた…。
 仏教とジェンダー、差別というより区別の在り様に疑問を呈する内容でもあったのだが、「ううむ」と。
「いい気なものだな、修行だなんて」と痛感を。

 さてっと。
 今日もまた、昨日同様、動くかと。
 それにしても、宮谷一彦さんの死は悔やまれる。
 佳き日々を。