自然には、上級も下級もない。
あるとすれば、人の手が入ったとき。
人にだって当然ないさ。
ただ、どうしたわけか、野卑な手合いがいるにはいる。
だからといって軽蔑はしないものの、ときに批判はするだろう。
【哀悼だなんて/今日も少しだけ】
いつの日だったか。
殺されて話題となっている人が、「消えるといいなあ」と想ったことがある。
「あんな人たちに負けるわけにはいかない」と言われる、はるか以前のことか。
そうして、こうも想ってきた。
「できれば、あいつより長生きはしたいよな」
2つのことが現実となった。
現実となってしまったのである。
司法で裁くのが、本来なのだろう。
が、それができないのだとしたら?
今、想う。
言いなりになっていた裁かなかった人もまた、殺人に加担したのだと。
裁いていれば、演説に立つこともなかっただろうから。
身内をはじめ、仲間・友人らは、「一体何をしていたんだ」と。
改心は無理でも、殺人に走るしかない状況を回避できただろうに。
してきたことを想えば、ふさわしくないとは分かっている。
が、記したい。
「哀れ也」
それにしても、与野党の議員が同じことを言っている。
違和感があって、当然だ。
石井こうき議員への殺人事件と、雲泥の差であるからである。
いずれにせよ、与野党ともに、司法で裁かれる状況へ持っていかなかった、いけなかったのだ。
そのことを、恥じているのか、どうか。
もっと自分を問えよ、自分に率直になれよと。
そうも痛感している。
と同時に、あの嘘をついても平気で、人々をないがしろにしてきた人の方法や姿勢、考え方が残存することこそ、罪なのだと。
あってはいけないことだろう。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「ううむ心理今日かあ」】
明石市の市長が言うように、何で石井こうき議員を報道しないのかと。
「いっそ、天誅だったらよかったのに」とさえ体感してしまった。
宗教団体の分派闘争の流れ弾に当たった?
いやはや、「利用されるだけだよな」というわけだ。
佳き日々を。