深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

一灯/月下の貧乏人・64

貧者の一灯――。
いい言葉だ。
貧者は、往々にして一灯を欲しがるだけになってしまうからである。
嘘ではない、わたし自身、実際、身に覚えがあるのだったが。
寒く、感染症は続くが、互いに生き延びていこう。

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▲『まだ冬の木々』(写真)
まだ冬である。
木々を視て、そう感じている。
硬いのだった。

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茨木のり子氏について/今日も少しだけ】
 過日、現代詩の長女と言われる茨木のり子氏について、テレビで取り上げていた。
 若者たちにも人気の様子だ。

 わたしは、異例の売れ行きだったという詩集を読み、「拠りかかるときがあってもいいんじゃね」と思ったものだったが。
「ケチだよなあ」と。

 とはいえ、「女の言葉が鋭すぎても 直截すぎても 支離滅裂であろうとも それをまともに受けとめられない男は まったく駄目だ すべてにおいて」という言葉には、射抜かれた記憶があるのだった。

 茨木氏は、単語に「お」がついたり、人の名以外に「さん」をつけるのも好まないといいつつ、金子光晴翁の、次の詩の一節には深く賛同しているのだった。

 なじみ深いおまんこさんに言ふ
 サンキュー・ベリマッチを(『愛情46』)

 言葉のインフレ状況の中、茨木氏の不在を想っていた。
 氏は次のようにも記していたのだった。

 言葉が多すぎる と言うより 言葉らしきものが多すぎる というより 言葉と言えるほどのものが無い この不毛 この荒野 賑々しきなかの亡国のきざし さびしいなあ うるさいなあ 顔ひんまがる

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「そうだよなあ」】
「あなたにとっての沖縄とは?」との問い。
 金子光晴氏は、1972(昭和47)年、こう応えたそうだ。
「沖縄は独立国として、戦争の責任をその加害国に要求すべきだと思います」

 佳き日々を。