よく言われる心の闇という言葉。
が、聴覚・視覚を通し、飛び込んでくる事件の数々を素通りしていく。
脳髄を守るためか。
もはや闇でさえない条件反射の剥き出し。
「おれだけでは解決できない」と呟きながら。
【感染者の苦しさ/今日も少しだけ】
感染予防に努めていた方がいた。
自宅でも二重マスク。
当然、3密は回避を。
室内でも医療用の手袋をしていた。
去年、お逢いしたときのことだ。
触れたところはすべて消毒、「そこまでやらないといけないのか」と。
つい最近、電話をした。
何か様子が違う。
どうやら、電話をしたその日、感染が分かったというのである。
「味わったことのない辛さ」と、声を落とした。
からだのつらさもあったのだろう。
が、何より、「たった1人というのは、つらいものだね」。
孤独感と言うより、孤立感への戸惑いを含めた絶望。
話は尽きない。
努力が報われなかったことが加味され、気落ちは当然だとしても。
一方、陽気に呑み歩く人もいる。
しかし、今にいたるまで、平気の平左なのだったが。
運不運、ロシアンルーレットのようだ。
昔、出逢った、「今日は今日の寿司を食う」という句がある。
それに倣えば、「今日は今日の呼吸をする」といった按配か。
それにしても、今にいたるまで、感染していない自分を幸運と言っていいものか、どうか。
東日本大震災の後、助かった方と話していて、思わず、「よかったですね」と伝えた。
が、彼女は言ったのだった。
「本当によかったのでしょうか?」
己の不明を、今も恥じている。
が、「生きていこうぜ」と言いたい衝動を捨て切れたわけではない。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「怖いぜ」】
専門家があてにならないことは、今も証明されている。
何より、今、それは困る、困るのだ。
たえずの今なのだから。
感染症の猛威から戦争の萌芽まで。
何とかならないのか。
佳き日々を、それでもなお。