親の仇とは、例えば戦争へと導く輩。
墓には、わたしの知らない親族もまた、入っているのだった。
空襲で亡くなった人もいると聴いている。
写真を視るとひどく懐かしい気持ちに。
逢ったこともないのにである。
www.youtube.com【印象が変わったとき/今日も少しだけ】
メモがあった。
沢知恵。
永瀬清子。
弁礼慶子。
女性3人の名前である。
「ああ、そうか」
茨木のり子氏の本を読み、メモしたのだろう。
1人は、歌手か。
茨木氏を悪く言う人は、まずいないのだろう。
そこが、不満だった^^。
現代詩の長女との呼称にも。
ただ、最近、『歳月』(花神社)の『獣めく』という詩歌をあらためて読み、うなった。
単に正義の人ではなかったのである。
死後に出版された由縁も理解できるのだった。
そこから、図書館で、『茨木のり子の献立帖』(コロナ・ブックス207)を手にした。
「いやあ、凄いな」
早い時期に、パエリアなどを作っていたのだ。
しっかりとした生活人であったのは、『茨木のり子の家』(平凡社)でよく、理解できた。
「暮らしやすい空間だよなあ」
写真だけでも分かった。
父親に金子光晴氏、そうして最愛の夫を亡くし、あの世に行きたかったようでもある。
「今は、あちらで仲良くやっていることでしょう」
そうした間抜けなことは、言いたくはない。
ただただ、肉感的な詩歌も書いた茨木氏の暮らし、何より言葉は、杖となっていくだろうとは記したい。
かつて読み、惹かれた詩歌を引用したい。
『見えない配達夫』という詩集に収められた1編である。
『六月』
どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終りには一杯の黒麦酒
鍬を立てかけ 籠を置き
男も女も大きなジョッキをかたむける
どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮は
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる
どこかに美しい人と人との力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる
わたしは、谷川雁氏も想起したのだったが、どうだろう?
いい詩歌だと、今でも想っている。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「眠るか」】
最近は、夜の一杯で眠くなる。
「もう寝るか」
佳き今日を。