深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

懐かしい人/戦争・33

親の仇とは、例えば戦争へと導く輩。
墓には、わたしの知らない親族もまた、入っているのだった。
空襲で亡くなった人もいると聴いている。
写真を視るとひどく懐かしい気持ちに。
逢ったこともないのにである。

▲『小さな図書館で』(写真)
「あれ?」
視た記憶がある顔が出迎えてくれた。
カフカだった^^。
「がんばっているなあ、図書館」

www.youtube.com【印象が変わったとき/今日も少しだけ】
 メモがあった。
 沢知恵
 永瀬清子。
 弁礼慶子。
 女性3人の名前である。

「ああ、そうか」
 茨木のり子氏の本を読み、メモしたのだろう。
 1人は、歌手か。

 茨木氏を悪く言う人は、まずいないのだろう。
 そこが、不満だった^^。
 現代詩の長女との呼称にも。

 ただ、最近、『歳月』(花神社)の『獣めく』という詩歌をあらためて読み、うなった。
 単に正義の人ではなかったのである。
 死後に出版された由縁も理解できるのだった。

 そこから、図書館で、『茨木のり子の献立帖』(コロナ・ブックス207)を手にした。
「いやあ、凄いな」
 早い時期に、パエリアなどを作っていたのだ。

 しっかりとした生活人であったのは、『茨木のり子の家』(平凡社)でよく、理解できた。
「暮らしやすい空間だよなあ」
 写真だけでも分かった。

 父親に金子光晴氏、そうして最愛の夫を亡くし、あの世に行きたかったようでもある。
「今は、あちらで仲良くやっていることでしょう」
 そうした間抜けなことは、言いたくはない。

 ただただ、肉感的な詩歌も書いた茨木氏の暮らし、何より言葉は、杖となっていくだろうとは記したい。
 かつて読み、惹かれた詩歌を引用したい。
『見えない配達夫』という詩集に収められた1編である。


『六月』
 どこかに美しい村はないか
 一日の仕事の終りには一杯の黒麦酒
 鍬を立てかけ 籠を置き
 男も女も大きなジョッキをかたむける

 どこかに美しい街はないか
 食べられる実をつけた街路樹が
 どこまでも続き すみれいろした夕暮は
 若者のやさしいさざめきで満ち満ちる

 どこかに美しい人と人との力はないか
 同じ時代をともに生きる
 したしさとおかしさとそうして怒りが
 鋭い力となって たちあらわれる


 わたしは、谷川雁氏も想起したのだったが、どうだろう?
 いい詩歌だと、今でも想っている。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「眠るか」】
 最近は、夜の一杯で眠くなる。
「もう寝るか」
 佳き今日を。