深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

対話へ/言葉・205

人は、「こう言おう」などと想わない。
にも関わらず、すでに話し出す。
身心が、反応しているからだ。
だからだ、身心を日ごろから組み替えていく必要もあるのだろう。
貧しいわたしでさえ、権力を持っている?

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▲『めまいのような』(写真)
教員のブラック勤務。
1年中、師も走っているのだった
。高齢者にしろ、ピンボケたまま、走らされている?

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▲『自転車道で』(写真)
ふと、ブレーキをかけた。
影に気づいたからだ。
愉しむことができた。

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【詩を読む/今日も少しだけ】
 茨木のり子氏の詩を引用したい。
 こうだ。

『六月』
 どこかに美しい村はないか
 一日の仕事の終りには一杯の黒麦酒
 鍬を立てかけ 籠を置き
 男も女も大きなジョッキをかたむける

 どこかに美しい街はないか
 食べられる実をつけた街路樹が
 どこまでも続き すみれいろした夕暮は
 若者のやさしいさざめきで満ち満ちる

 どこかに美しい人と人との力はないか
 同じ時代をともに生きる
 したしさとおかしさとそうして怒りが
 鋭い力となって たちあらわれる

 ――今の心への指針である。
 ヴィジョンだ。
 明日への、いや、今日への。

 この詩を読むと、いつも、想い出すのが、谷川雁氏の詩だ。
 村を志向した彼の、『雲よ』を思い出すのだ。


『雲よ』
 雲がゆく
 おれもゆく
 アジアのうちにどこか
 さびしくてにぎやかで
 馬車も食堂も
 景色も泥くさいが
 ゆったりとしたところはないか
 どっしりした男が
 五六人
 おおきな手をひろげて
 話をする
 そんなところはないか
 雲よ
 むろんおれは貧乏だが
 いいじゃないか つれてゆけよ

 鶴見俊輔氏が、谷川氏の村に、明日への可能性を見ていたことも、思い出す。
 そうして、また『六月』という詩へと戻っていくのだった。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「なっちゃねえよな」】
「なっちゃねえよな」
 吐き気のすることばっかで。
「ったく」

 どうせ毟り取っていくんだろう。

 でもさ、貼り付けたグループのように、のぼせ上がって歌っていくーー。
 いいじゃあないか。

 佳き日々を。