戦禍のニュース。
尊厳の保持とは遠い、あまりにも遠過ぎる。
自立・自律支援までたどり着けない悲劇。
自己選択・決定等、あきらかに虚言のようである。
殺して平和にはならないのは、殺人が残っていくからだ。
www.youtube.com【言葉の回復こそを/今日も少しだけ】
昔、言葉の役割を、2つに分けた文章を読んだ記憶がある。
指示するものと、表現するものとに、ザックリと分類したのだ。
前者は、文字通り、「あれはりんご」といったようなことか。
後者は、想いなどの領域。
「記事と詩歌の違いみたいなことかな」と。
その後、言語学者等々にこっぴどく批判されていたが、それは今は、置いておく。
実は、元首相の発言以降、前者も後者も、ぼろぼろになってしまったと痛感しているのだった。
要は、嘘を国会で、百回以上も言えば、当然だろう。
そうして、今や工場・物質の時代から、コト・情報の時代に変化したとも言われている。
本当はそれだけではないのだが、ともあれ、そうなれば早く、端的に、事実を理解できるものが受け入れやすいのだ。
旧ツイッターの隆盛は、当事者が語っているだけに、そちらになびいて、当たり前か。
「ウェブでいいじゃん」というわけだ。
しかも、「無料だし」と。
例えば、今日、こんな言葉さえ、読める。
「これは、逃げ場のない閉じ込められた住民に対する意図的な爆撃だ。
ガザは40年近く野外刑務所であり、急速に集団墓地になりつつある。
殺害された人々の<>%は罪のない子どもたちです。
家族全員が殺害されている。
世界が見守る中、多くの政府の積極的な支援を受けながら、何百万人ものパレスチナの民間人(子ども、女性、家族)が集団で罰せられ、非人間化され、国際法に反して食料、医薬品、人道支援を奪われています。
人道的停戦の要求を拒否し、国連安全保障理事会が両当事者に人道的停戦を課すのを阻止することで、世界の指導者たちはこれらの犯罪に加担している。
(アンジェリーナ・ジョリー)
ウクライナ支持者だけに、背景の想いまでは分からない。
いずれにせよ、明確な言葉だ。
世界は一家ではない。
そうした折、週刊誌・月刊誌を待っていられないなと。
日刊紙でさえか。
とはいえ、役割はある。
事実と真実を明確に理解し、信頼できる記者たちが、状況を開示していくこと。
また、絶望の果ての言葉を成立させていくことも。
芥正彦氏の言葉を紹介したい。
こうだ。
「今、絶望するのは、せっかちというものではないのか」
芥氏らしいなと苦笑しつつ、「そうだよな」と。
またしても、想い出してしまったのだった。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「さてっと」】
「あっ、そっか」
今日は祝日か。
1か月以上、賃労働の現場から離れていた。
故に、気づかなかったのである。
それにしても、ビートルズの新譜。
物悲しく、グッと来ている。
佳き日々を。