深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

最後にかかる病としての希望/この領土で・813

希望は、わたし自身にあるのではない。
他者と、わたしの関係にこそあるのだろう。
いっそ他者にあるとさえ言いたくなってもいる。
人が人に丁寧に働きかける希望。
そうして、そこにしかもはやいる場所はない。

▲『花々の春』(写真)
誰が言ったか忘れた。
「立ったまま、ズボンは両脚、いっぺんには履けない」
あはは、確かに。
だからといって、しゃもじではないだろう。

www.youtube.com【少しはマシに?/今日も少しだけ】
 ディランの唄を想い出す。
 あのころより、今のほうが若いといった歌詞の唄である。

 わたしは、どうか?
 若いときに比べれば、少しはマシになっていればいいのだったが。

 少なくとも、恋だの愛だのにとらわれることはなくなっている。
 若いときから、執着していなかった、わたしでさえ、今、想えば、とらわれてはいたのだろう。
 意識しなくなった分、楽にはなった。

 人はみな、他者同様、すばらしいと、わたしも言い切りたいのだった。
 どうなのだろう、実際は。

 ともあれ、誠実で真面目、正直な方が、一生懸命に働いて、報われないことは、認めたくはない。
 が、現実でもあるのだったが。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 時計を視れば、翌日近い。
 眠るとするか。

 佳き今日を。