かつての日本。
もっと猥雑だった記憶がある。
電車内でも、ゲラゲラ笑っていたのだったが。
貪欲で好奇心もあり、何より不潔だったか。
水洗トイレになったとき、故障はつきものだったが、それでも嬉しかった?
※近代化の衛生観念は、諸悪の根源である領域も内包しているのではないか。
www.youtube.com【尊敬に値する人/今日も少しだけ】
1960年代末。
大学闘争を担い、その後、公害問題や地域医療に邁進した医師がいる。
自己注射など、法整備がないころから、患者とともに遂行していたという。
それだけでも、たまげることだ。
商売意識がなく、ただただ、患者へのサービスをと。
その方が、言った。
認知症の人は、概ね、がんの痛みなどもなく、穏やかに亡くなるのだとか。
「ただねえ、(認知症には)なろうとしてなれるものではない」
「では、どうすれば?」
「認知症であろうが、なかろうが、周囲とのよい関係につきます」
けだし名言。
帰路、共にお話を聴いた方、曰く――。
「長寿になってボケるのは、人間の進化なんすかねえ」。
「そ、そっか」と。
闘争を貫徹してきた医師の姿勢に感銘したが、いくつもの示唆に富む話は、今も残響している。
逆説ではなく、病が、羨ましくなる恵まれたケースの話も。
何でもコロナ禍でも、家族たちとの会合は遂行していたようだ。
「認知症は待ってはくれませんから」
「こうした医師もいるんだよなあ」と感動・感激してしまった。
当たり前の医師がいたのである。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「あらま」】
すでにして夜。
今日は、疲労で自宅にいた。
佳き今日を。