深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

教養だなんて/身体から・225

教養の基準は、どこにあるのか。
知識だけではない。
つまりだ、からだの使い方を知っているかどうかにあるのだ。
しかも、相手がいれば、そう簡単に巧くはいかない。
自らを叱咤、相手には柔らかく接していく。

▲『歩いた』(写真)
利用駅のすぐ近くの場所である。
歩きたくなって、至極当然か。
誘われているとは、「このことかあ」と。

www.youtube.com【いつまでも歩きたい/今日も少しだけ】
 高齢者の言葉によくある。
「いつまでも歩けるといい」

「そうだよな」と。
 移動の基本だからである。

 暮らしと移動は密接だ。
 移動こそ、暮らしの要と言えるのだろう。

 そもそも、歩くこと自体、愉しいものだ。
 ただ、それだけではないのだったが。
「かったるい」というときもあるのだから。

 ともあれ、用足しにも自分で行きたいではないか。
 今さら、尻を見られて恥ずかしい齢ではないが。
 臭いものを嗅がせたくはないということはある。

 一生懸命に歩いていても、膝など痛めたらアウトだ。
 だから、無理・無茶・無謀は避けたほうがいいのだろう。
 ここでもまた、バランスが要か。

 どうか、今日もご無事で。


【追記/「さてっと」】
 放置していたわけではないが、結果的に放置していたブログ。
 当日に記入し、公開できるところまでは追いついた。
「こうでなくちゃ、意味、ねえよなあ」

 戦禍に禍としての国家戦略、しかも宗教団体問題に基地問題等々。
 江戸時代の悪代官より重税との指摘に、「実感だわなあ」と。
 佳き日々を。