教養の基準は、どこにあるのか。
知識だけではない。
つまりだ、からだの使い方を知っているかどうかにあるのだ。
しかも、相手がいれば、そう簡単に巧くはいかない。
自らを叱咤、相手には柔らかく接していく。
www.youtube.com【いつまでも歩きたい/今日も少しだけ】
高齢者の言葉によくある。
「いつまでも歩けるといい」
「そうだよな」と。
移動の基本だからである。
暮らしと移動は密接だ。
移動こそ、暮らしの要と言えるのだろう。
そもそも、歩くこと自体、愉しいものだ。
ただ、それだけではないのだったが。
「かったるい」というときもあるのだから。
ともあれ、用足しにも自分で行きたいではないか。
今さら、尻を見られて恥ずかしい齢ではないが。
臭いものを嗅がせたくはないということはある。
一生懸命に歩いていても、膝など痛めたらアウトだ。
だから、無理・無茶・無謀は避けたほうがいいのだろう。
ここでもまた、バランスが要か。
どうか、今日もご無事で。
【追記/「さてっと」】
放置していたわけではないが、結果的に放置していたブログ。
当日に記入し、公開できるところまでは追いついた。
「こうでなくちゃ、意味、ねえよなあ」
戦禍に禍としての国家戦略、しかも宗教団体問題に基地問題等々。
江戸時代の悪代官より重税との指摘に、「実感だわなあ」と。
佳き日々を。